ゲーム「猫撫ディストーション」 レビュー

1

そんなわけで。WHITE SOFTの「猫撫ディストーション」を最近プレイし終えた。個別ルートごとにムラがあってちぐはぐなゲームを想像していたんだけど、実際は尺の長短こそあれ、どのルートも出来が良く、全体を通してマイルドにまとまっていた。僕にとっての価値転倒的な凄みはあまり見られなかったものの、十分に良質な物語だと思う。
とりあえず七橋さんの感想を読むとよい、と書こうとしてブログが消えていることに気付く。なんてこったパンナコッタ。以下のエントリは2011年4月14日現在、Google検索のキャッシュから読める。
猫撫ディストーションの式子さんシナリオがすごくひどかったのです。 - ナナルゥト
圧倒的な現実 - ナナルゥト

2

この作品は僕の手には余る、というか言いたいことがあまり見つからない。琴子の下まつげが綺麗だ、とか猫さんがかわいくて微笑ましい、といったことくらいだ。
作品を語るために作中における事実を確認することは大事だと思うけど、考察自体にはそれほど興味がない。そういうのは猫撫ディストーション @ まとめwikiでやればいい。「Sense Off」「未来にキスを」といった過去の元長柾木作品をプレイしていないので、そっち系の文脈で話をすることもできないし。
Togetter - 「可能世界論の可能性/不可能性」とかを踏まえて誰か何か書けばいいんじゃないだろうか。僕は可能世界に目配せをしてから「いま、ここ」を肯定的に生きる、という態度(人生観)が好きなので、シナリオロックされた琴子ルートのエンディングとは相性がいい。

ギズモや琴子を撫でながら居間でのんびりしたり、柚と二人で歩むことを決めたり、式子や結衣と永遠に生き続けられる世界があると知っているからこそ、そうした世界が自分の世界とは全く関係がないと分かっている別の世界の樹も安らぎを得ることができるのだろうし、自分もなんとなく生きていけているのかも知れない。

vostokさんの「猫撫ディストーション」の感想

こういう感覚で生きていけたらいい。

3

式子ルートにおける「奇跡」の取り扱いは面白いと思った。こんな素朴でえげつない奇跡は美少女ゲーム界広しといえどもそうそうないんじゃないだろうか。あったら教えてほしい。式子ルートはそこから先の展開も突き抜けていて、プレイ中はぽかーんとしてしまった。

悲しみを、悲しみ以外のものと関連づけたりせず、ただ悲しみとして受け止めること。

という一文が式子ルートのエンディングにあって。ここでいう「悲しみ」は多分「死の無意味さ」を指している。そして、樹はその無意味さに対して「意味性を付与する」のではなく、「無意味性自体を読み込まない」ことによって超克する方法を示しているんじゃないかなー と思った。
しかし、"感じたことに意味を付け加え、深みや重みをでっちあげること"を"乱暴"と言ってしまう樹に、現実世界の僕は賛同できない。それというのは、物事に意味性を付与する「批評」という言語活動の全否定という風に読めてしまうから。「AIR」における観鈴の無意味な死を意味づけるためには批評という行為をするほかないと言っていた*1東浩紀的な態度とかここでは排斥されちゃうじゃん。自分の中での「意味の体系」を作るために日々ブログを書いている身としてはとてもじゃないけど乗っかれねーよ、というのが僕の率直なリアクションだった。
でも、人間が批評とかせずに生きていける世界を観ることも一つの貴重な経験ではあった。

4

結衣に素晴らしい姉性を感じて満足した。意外と樹の弟力が低くなかったからかな。姉というものは弟にとって終生わけがわからない存在でいい。もちろんブラックボックスを開けたい、という欲望もある。自分が生まれる前の姉の話とか聞きたいよね。

5

琴子ルートは、「ララァにはいつでも会いに行けるから」を連想した。
妹にブラックボックスはない。だからこそ、僕は妹の言葉に耳を傾けなければならない。

猫撫ディストーション猫撫ディストーション

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