毎回、拙作が言葉であたらしく形どられているのをみて、こういう話だったんだなあと、ようやくわかります。
いいこと言うなあ。
* * *
「終われない」って辛いことなのだな、と思った。
自分で始めたはずの営為でも、あるいは誰かに投げ出されたような状況でも、いつの間にか前に進んでいる実感がなくなって、かといって後ろに戻ることもできなくて、時の過ぎるままどうしようもなく立ち尽くしてしまうようなことが、人の生には確かにある。
そんな、自分からは終わらせることができない業のようなものを終わらせてくれる者がいるとしたら、例えその者の本質が呪いだとしても、その行いは救いであるのかもしれない。
本作においても貞子の存在が呪いであり、人を殺すモノであることには変わりがない。にもかかわらず、舞台を終わってしまった世界に、登場人物を終われない人たちにすることで、ある種の救済者としての新しい彼女の像を立ち上げている。呪いーにでーきることーはまーだあーるかーい。
皿屋敷のお菊さん回では呪いには呪いをぶつけんだよ展開になることなく、アイとひーちゃんが優しく彼女の終わりに手を添えてくれる。生者と亡者の相互補完。アイーにでーきるこ(略)。
旅を共にするアイとひーちゃんは健気で可愛らしく、それだけに旅の終点が近づくにつれて貞子の中に募る想いを考えると胸が痛い。
ついには、貞子が全ての「人」(つまり――――)を終わらせることで物語は幕を閉じる。そして、それ自体が貞子の「終わり/救い」になった……のかどうかは巻末の特別おまけ漫画を御覧になって確かめていただきたい。
余談として、補助線を引くなら「アトラク=ナクア」がわかりやすいだろうか。*1あの作品には自分の生の扱いについて"途方に暮れた者"を語るくだりがある。初音が言うには、"途方に暮れた者"の生には命・心・時という三つの終わりがある。いずれが尽きるかはその者の天命次第であろう。
本作における登場人物たちはまさにここで言う"途方に暮れた者"であり、「時」はまさに終末である。そして貞子は、彼らの「命」を奪ってしまうことで同時に彼らの「心」が尽きることを防いでいる。
こう考えることで、呪殺と安らぎという、ともすれば相反する二つの要素を一つに結ぶことができる。
* * *
そんなわけで。夏見こまさんの漫画「終末の貞子」を読んだので感想を書いた。
「リング」の貞子、といえばもはや本邦では説明不要のホラー・ヒロインだ。そんな彼女が終末世界で幼女たちと旅をするという本作は、Twitter発のWeb漫画である。Twitterで楽しく読んでいたらあっという間に角川から公式に書籍化され店頭に出たのが6月、速攻買って読了したけど感想書くタスクが実行できず4ヶ月放置。「終わり」について閃いて「あ、これ記事1つ書けるな」ってなったのは1,2ヶ月前だけども、もう少し早くブログを書いていきたいね(2年ぶり更新並感)。
夏見さんは艦これ同人で知った作家で、鳳翔さん本をはじめとした同人誌は幾つも購入している。例えば「しんしんと」については、"流れる空気がとても清浄だから、画面の内で呼吸するように読んでいくだけで胸中とても爽やかになった心地です"と以前評したことがある。*2
そのような美質は本作にも備わっており、「終末」と「貞子」というネガティブにネガティブを掛けたような組み合わせから期待されるおどろおどろしさを見せながらも、清涼な読後感を演出している。貞子関連は小説「リング」をちらっと読んだのと「貞子VS伽椰子」を観ただけの自分でも面白く読むことができた。
以上、僕にとっては、こういうお話でした。
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終末の貞子さん (@terminal_sadako) | Twitter