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そんなわけで。先日、砂義出雲さん(id:sunagi、@sunagi)のガガガ文庫デビュー作「寄生彼女サナ」を読み終えた。
「萌えて笑えて泣けます」という著者コメントのとおり、ヒロイン・サナを始めとした女性キャラクターのかわいさ、これでもかと盛り込まれたギャグ、寄生という生態を通して主人公達が向き合う自己と他者との関係性など、見所はたくさんある。
発売から間もないので、前半はネタバレなし、後半はネタバレありという形で感想を書いていこうと思う。
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ストーリー
平凡な日々を過ごしていた高校生の主人公・唐人が寄生生物「パラシスタンス」・サナに寄生され、共生を余儀なくされるというプロローグから物語はスタートする。第一章では従妹の桜・親友の丈児・櫛名田会長・クラスメイトの亜須香・綺羅先生といった登場人物の紹介、そしてサナとの邂逅が描写されている。第二章ではサナによって変わっていく日常とそれに戸惑う唐人、明かされていくパラシスタンスの生態にスポットがあたる。第三章では唐人が改めて自分の身体に宿ったサナや周囲の人達との関係を問い直していく。
キャラクター
なんといってもメインヒロインのパラシスタンス・サナが腸かわいい。表紙の絵では髪色は淡いピンクに見えるけど、実はエナメルがかった銀色だったんだね。綺麗だ。性格も割と素直だし、宿主の唐人に対して健気で好感が持てる。唐人に頭を撫でられたりよくしてもらった時のリアクションも微笑ましい。
パラシスタンスの能力として宿主と手を繋ぐことで五感を共有できるという設定は、味覚だけでしか使われなかったのが残念だ。「恋人繋ぎで手を握り身を寄せ合い、自身と唐人二人分の性感を得て頭が蕩けてしまうサナ」を妄想した。冬に薄い本が出るかと思うと腹が熱くなるな……
桜は突発性淫乱症候群が面白かったし、唐人への愛情も独りよがりなものではなく、本当に唐人のことを慮っていることが見て取れるいい子だった。
亜須香は唐人がほのかに生き方の手本としている、というところが終盤にうまく活きていたと思う。瑠奈璃亜さんの挿絵がなかなかにそそる。この本の女の子はミニスカニーソ率高いね。
サブキャラでは、丈児の涙ぐましいほど板についた親友っぷりが印象的だった。櫛名田会長は権力者として話を動かすのに便利そうだな、という創作者的な感想を持った。綺羅先生は単なる主人公への助言者に留まらず、過去が掘り下げられているところがよかった。
最後に、主人公の唐人。彼は突如自分の腹から出てきたサナとの生活に苦心惨憺しつつ、失いかけているかつての平坦な日常を懐かしむ。だけど、平坦な日常って考えてみると何だろう、そこには誰がいただろう、という疑問に唐人は段々と近づいていく。対人関係においてはやや受け身なところが見えるが、仲間への気遣いは本物であるし、桜や丈児、亜須香、サナの幸せを心から願っている。*1周りの人間との会話では主にツッコミを担当している。唐人が自分の世界に必要なもの、守りたいものを自覚した時、物語は大きな動きを見せる。
ちなみに、「砂義出雲×秀章クロスインタビュー」(「ガ報」No.51所収)では、秀章さんの"作中のキャラで誰が一番のお気に入りですか?"という質問に対して、砂義さんは"櫂実という無口読書自罰ヒロインです。主に、世界から断絶されたような少女を愛しています。"と答えている。
ギャグ
序盤から中盤にかけてはかなりの頻度でネタが挟み込まれてくるのでけっこう笑ってしまった。最もマニアックだなー と思ったのはp.129-130でサナがボタンを押してしまうくだり。これ自転車創業パロディだよね? 今年「あの、素晴らしい をもう一度」「ロストカラーズ」をプレイしていなければ絶対に気付けなかった。ちなみに、砂義さんは「恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+」という同人誌他で自転車創業のゲームに関する評論を書いたりしている。
総評
腸面白かった。寄生虫がメインの話だけどグロくはないし、むしろエロい。中盤から終盤にかけて自意識を取り扱っている割に作風は明るめで、キャラクターも気持ちのいい人物が多いから読んでいてすっきりする。美少女が好きな人、寄生虫が好きな人、他人と上手く接することができずに悩んでいる人、自意識に囚われている人などにお薦めできる良作だ。ほんまサナの愛くるしさは五臓六腑に染み渡るでぇ(寄生虫だけに)。
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3 ネタバレあり
唐人の世界
さて、既述のように唐人は対人関係においてやや受け身なところがある。それは言い換えれば他者を対象化しないということだ。日常の中で触れ合う人々の価値や、他人と自分との関係性に対して意識的になることを唐人は避けている。だから、例えば桜のアピールはひらりとかわされ、従妹以上の存在対象として認識されない。彼が結ぶ人間関係はぼんやりとしたもので、そうした関係から形作られる彼の世界は、いつ自分がいなくなってもいいようなものとして成り立っている。
――ああ。
これが、完璧に調和が取れた世界だ。
僕一人くらいいなくても、余裕で回っていくのだろう。
(「寄生彼女サナ」第一章『シェルタリング・オーディナリー・デイズ』 p.40)
日常っていいな・この世界っていいな、と思いながらも、その日常・世界を構築する物や人については無意識的であろうとする。物語序盤の唐人は、そのような主人公であった。
サナの世界
一方、"寄生虫でありながら、実存を持つ存在"である実存寄生・パラシスタンスのサナの世界は、自己と他者の関係性が非常にはっきりとしたものになっている。宿主なしに生きられない寄生生物にとって自己と他者の関係を結ぶことは生存要件であるから、必然的に他者について意識せざるをえない。
サナが宿ったことによって、唐人もまたサナという他者との関係について意識的になることを強いられる。そして、サナとのコミュニケーションから育まれた他者への意識は、桜や丈児、亜須香に対する意識へと敷衍していく。
実存寄生
唐人とサナの身体的関係は至近距離、もとい体内に宿るというゼロ距離から始まっている。だが、精神的には序盤から中盤にかけてサナの異物感が強調されており、人間とパラシスタンスという種族間の距離があらわになっている。
しかし、実はその種族間に距離があるという事実こそがフェイクであり、逆説的に距離はあっても断絶はないということが明らかになる。パラシスタンスは人間と同じように他者との関係性を獲得して生きており、ただその生態が寄生という極端な形であるという生物種だ。換言すれば、人間の生態も人によって程度の差はあれ他者を必要とし、他者と共生しているという点でパラシスタンスと相似している。
だからこそ、唐人はサナとの寄生関係から得た感触をもってして、これまで共に日常を形作っていた人々との関係を再び模索することができるのである。実存寄生とは、人が自己と他者とを意識し、世界を認識する様をより強調した生態であると言える。
パラシスタンスの武器・攻撃手段
ここで少し脇道にそれる。僕はバトル漫画等に出てくる異能力や武器が使い手の精神性と密接に結びついていることに美しさを見出す。本作のパラシスタンスが用いる武器・攻撃手段と使用者のパーソナリティも、やや弱くはあるが関係を持っていると感じた。
サナのクチクラブレードについては、p.104で命を賭して将軍を守るサムライスピリッツの表れという説明がある。ギャグに挟まれているからどの程度真剣に受け取っていいのかは微妙なところだけど、サナの生き方を具現化したものと考えていいだろう。スリヴァーは巻中のレポートから鑑みるにノリで考えられているっぽい。
亜須香のスピニングピアッシング、スピニングプレイトは回虫の「回」→「回転」ということだろうか。これも亜須香の思想を形にしたようなものだったらもっと加点して評価できた。
自己愛
話を再び人間とパラシスタンスの関係性に戻そうと思う。
人間が自身の肉体に寄生したパラシスタンスを愛することは、一種の自己愛だという見方が可能だ。パラシスタンスは宿主の身体を住処とし、宿主と同じ栄養源を持ち、宿主の敵を討ち、時に五感さえ共有する。作中には出てこなかったが、「運命共同体」という語句は両者の関係を適切に表現しているだろう。パラシスタンスという他者は、限りなく自己に近しい。パラシスタンスを愛することは、自己を愛することに近しい。*2
また、唐人・サナ・亜須香は「他人を害する可能性がある自分を肯定することができるか」という問題にぶつかっている。彼らは自分自身による断罪を選択肢の一つとして考えながらも、最終的には自己を許容して生き続けることを選ぶ。これも一つの自己愛だろう。
ただし、本作が示す自己愛とは自己のみを愛するということではなく、自己の世界を愛するということだ。サナにとって大切な世界の一部である唐人、そして唐人の世界にとって大事なものを絶対に守るという彼女の誓いが、端的にそれを象徴している。
自己の世界、その認識
本作は、どこからどこまでが「自己の世界」であるかを認識し、自己の世界に内在する他者(家族や友人、恋人など)とどのように接していてくか、ということについて問い掛けている。
僕が同種の問題意識を読み取った作品を二つ紹介し、「寄生彼女サナ」と比較検討してみたい。
自己の世界を円として考えた作品に、金城一紀の小説「GO」がある。手元に原書がないのでTwitterの金城一紀botから引かせていただく。
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半径6300キロは この手の届く距離
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ここで描かれるのは、世界の壁を自身の腕で突破する「越境」ではなく、自分の手を伸ばす範囲、世界そのものの「拡大」だ。
本作は、どちらかと言えば後者に近いだろう。なぜならば、「越境」とは世界の外からやってくる悪意への反動であるのに対して、「拡大」はあくまで自意識の問題であり、「寄生彼女サナ」はまさに自意識をこそ取り扱っている作品だからだ。たとえ世界に悪意がなくとも、自意識がある限りにおいて他者との関係性という問題は常に僕たちを悩ませ続ける。本作で唐人が、あるいはサナが、亜須香が苦しんだのはそういった自意識の問題であり、問題を解決するために選んだのは自己の世界を見つめ直し、どこからどこまでが守りたいものなのか認識することであった。
綺羅先生は、俺が守りたいものの範囲こそが自己だと言った。
なら、どこからどこまでが俺になって、血肉になって、守って良いものなのか。
そのために、何を犠牲にしなければならないのか。
俺には、まだ考える時間が必要みたいだった。
(「寄生彼女サナ」第三章『パラサイト・ユアサイド』 p.234)
付言するなら、「越境」は、サナを世界の外から寄越された悪意(唐人を害し、奪うもの)と思い込んだ桜が取った行動の方が近いだろう。悩みのタイプが異なるため、唐人はサナ・亜須香に接した時のように感化や共感という形では桜を救えない。桜の救出はあくまで自分達の信念に基づいて唐人・サナ・亜須香が協力した結果であり、ある意味力押しだった(思想的勝利ではない)。自意識系ではないために、桜だけが本作においてやや浮いた存在になってしまっている感はある。
しかし、主要登場人物が全員自意識型だと鬱陶しいし、桜のおかげで作品全体に光が射していることも確かだ。要らない子ではない。
本作に続きがあるとするなら、主人公達がこのまま自身の世界を拡大していくのか、それとも世界を越境していくのかという点はしっかりと見定めたいところである。
ロールモデル
最後にもう一度、唐人・サナ・亜須香という自意識系登場人物が果たした役割を考えてみたい。
当初、唐人は亜須香を密かに自分のロールモデル*3として見つめていた。一人で完結しているように思える亜須香の生き方に憧憬の念を抱いていた、と言ってもいい。駆虫薬というアイテムを手にした時、唐人にはサナを排除して一人になるという選択肢もあった。しかし、綺羅先生との対話を経て彼が選んだのは、他者と共生するパラシスタンス・サナの在り方だった。
唐人のロールモデルだった亜須香は、その実パラシスタンスであるがために(人間と相似形であるがために)自己完結した存在にはなり得ず、それでも孤独であることを選んで生きていた。そんな彼女は唐人によって罰を下されることを望んだが、最後には唐人の姿を見届けるために生きることを決意する。
ここにおいて唐人と亜須香のロールモデルが倒錯し、「唐人→亜須香」から「亜須香→唐人→サナ」という構図が浮かび上がり、メインヒロインのサナへと視点は集束する。
では、その時肝心のサナはどうなっているかというと、宿主の精神に悪影響を与えるというパラシスタンスの一面に思い悩んだ末、唐人と共に生きることを諦めてしまっている。唐人と亜須香が、自己完結から共生へと進歩したことと対照的に、サナは共生から自己完結へと退行している。そして、今度は唐人の方から自己完結してしまったサナを共生へと誘うのである。ここにおいても、「サナ→唐人」という形で唐人とサナのロールモデルは転倒している。
以上のように、ストーリーが進むにつれて「唐人→亜須香→(綺羅先生との対話後)唐人→サナ→唐人」とそれぞれの人物が代わる代わるロールモデルを演じていることが、総体的に本作のキャラクターを魅力的にしているのではないだろうか。「憧れ」を軸に物語を読み解くことを近年のテーマとしている僕は、そんな風に思う。
4 関連エントリ
- 『寄生彼女サナ』、誰かと生きるとはどういうことなのか - ちらしの裏的な何か
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- 『破廉恥と葛藤を温かく包み込んだ作品―寄生彼女サナ』 2011-07-20 - eichiの日記
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- 寄生彼女サナ - お湯ぬるいんだけど!
- "そんな当たり前のことに、寄生虫という言わば人と共に生きることが宿命づけられた存在と暮らすことで気付かされるというのは、ある意味必然とも言えます。"
- 美少女寄生虫ヒロイン 寄生彼女サナ 「寄生虫の時代がキター!」 - アキバBlog
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