漫画「人間昆虫記」 感想

そんなわけで。まじこいブログにかまけてメインブログを放置しすぎてるので最近読んだ本の感想を書いていく。
手塚治虫の「人間昆虫記」は1970年代の作品だ。あらすじが公式サイトのWikiに書かれているのでまずはそちらを参照しよう。

ひとりの悪女の生き方を軸にして、人間社会のゴタゴタを昆虫世界になぞらえて描いた風刺ドラマです。
その年の芥川賞を受賞したのは、天才と噂される新進作家・十村十枝子でした。
そしてその授賞式が行われているとき、別の場所で臼場かげりという女が自殺をしていました。
臼場かげりと十村十枝子は、かつて一緒に暮らしていたこともある仲であり、実は、十枝子が受賞した小説は、臼場かげりが書こうとしていた作品の盗作だったのです。
十村十枝子は、次々と才能のある人間に接近しては、その才能を吸い取り、作品を盗んでは成長していく寄生昆虫のような女だったのです。

人間昆虫記:マンガwiki:TezukaOsamu.net(JP) 手塚治虫 公式サイト

この十村十枝子(とむらとしこ)の人生がストーリーラインとなる。彼女は悪魔的な才能を持って出会った者の特長を模倣し、その人間の破滅を踏み台にして様々な分野で成功を重ねていく。
その姿は作中で"羽化しつづける蝶"とも形容される。だが、それは決してポジティブなイメージではなく、永遠に成体になれない幼さを含んだイメージであることが示唆される。
第三章「天牛(かみきり)の章」では、釜石桐郎という男性と結婚した末に十枝子が妊娠する。その際の十枝子の動揺は、常に他者を翻弄してきた悪女の姿からは想像できないものだった。

「いや いや まだ私は子供を産む年じゃないわ 幼虫なのよ! 私はまだ脱皮しつづけている幼虫なんだわ!」

このような「母になることへの嫌悪感」の裏返しとして、十枝子が亡くなった実母に見せる依存的な態度も特徴的に描かれている。十枝子は隠れ家に実母の蝋人形を置き、その人形に語りかけ、乳房を吸い、甘えるような仕草をとる。この隠れ家は蜂須賀兵六の口から「母親の胎内のような安息の場」と言われている。また、終盤に放たれる十枝子の叫びからも、母への強い依存が窺える。

「狂ってなんかいないわ私まじめよ!! 私の生きてくのを見守ってくれてるのはおかあちゃんだけだったのよ!!」
「私大人になってからだれひとり信じられなかったわ!!」
「信じてたのはおかあちゃんだけよ!!」*1

十枝子はずっと独りで、母以外の誰をも信じられずに生きてきた。ラストシーンで、彼女がつぶやく台詞には圧倒される。

「私……さみしいわ…………ふきとばされそう…………」

何人もの人間を破滅させてきたお前がどの口で、という話ではある。しかしこの言葉のなんと哀れなことか。怪物じみた所行を繰り返してきた彼女も、モンスターではなく一人の少女だったのだ。
十枝子は、彼女が他者を信じることができないために、その人生において引かれ合った男性と何度も破局していく。その性愛は悲哀に満ちているけれども、それ故に一瞬の交感がこの上なく貴いものとして読み取れる。
第四章「螽●(きりぎりす)」の章において、桐郎の仕事を失敗させて自殺に追い込み、隠れ家に帰る道すがら、十枝子は桐郎を思い浮かべる。それは紙幅にして一コマに過ぎないイメージだったけれども、かりそめの夫婦関係から生まれたささやかな愛情が感じられてなんとも切ない。
さて、本作については、その時代背景や文明に対する批判、あるいは芸術論といった文脈から語ることもできるだろう。僕はそのような角度からは感想を書かなかったけれど、意義ある感想・レビューエントリを書いている方がおられるので最後に紹介しておく。

人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)
手塚 治虫

秋田書店 1995-03
売り上げランキング : 64610

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

*1:余談だが、「おかあちゃん」という呼称は僕の母が亡くなった祖母を呼ぶ言葉である。男性の僕には想像しきれない、「娘が母に抱く感情」を想うと、いつも胸が詰まる。