ゲーム「AIR」 感想

そんなわけで。「Kanon」に続いて、2000年にKeyから発売された「AIR」を2010年夏にプレイしてみた。
プレイ実況はTwitterでやっていたので、それをまとめる感じで感想を書いていく。思いついたことを片っ端から書いていったファーストインプレッション的なものだから読みにくいかもしれない。総評だけでも読んでもらえれば幸いだ。ネタバレあり。
Togetter - 「AIRプレイ実況・感想つぶやきまとめ」

システム

前作からの改善

AIRKanonと同じシステムを使っているようだけど、多少の改善が見られる。特にバックログが実装されているのが非常にありがたかった。

画面

今作では立ち絵が少し引いた感じになっているので、画面の圧迫感は減っている。また、二人の立ち絵が同時に画面に現れるというのもKanonからの大きな変化であると言える。これは特にAIR編で往人と晴子が会話するシーンでよく機能したと思う。

個別ルート評

DREAM(共通→佳乃→美凪観鈴)→SUMMER→AIRの順に進めていった。攻略サイトなどはほとんど見ずにプレイした。

共通

観鈴ちんのオーラが半端無かった。導入部分でいきなり会うとは知らなかったし、会った途端に「こいつはやべえ……」と危険な気配を察知した。あとは「晴子の『却下』って露骨にKanonと対比させてるよなー」とかいう点をチェックしつつ、AIR独特の部分も探っていった。
本作では街の中でどこに移動するかで誰に会うかが決まる、という作りになっている。旅の者である主人公は逗留する場所をある程度決めることができる。どこで寝泊まりするかが直接的にどのコミュニティと関わるか、というルート分岐にうまく結びついている。当たり前のことなんだけどね。主人公が学生ではないだけ学校の描写が減っていて、その分「街」についてKanonよりも意識的だと思った。*1
今はキャラアイコン付きのMAP選択式を採用するゲームも多い。しかし、Keyはリトバスでもそういう方式は採らずに選択肢で場所を選ばせていたので、一貫してそういう方針なんだと理解した。*2MAP選択式にするとどうしても物語の連続性は薄れるので(テキストウインドウが消えることで物語がぶつ切りになる印象を受ける)採用しないのかな、と推測した。*3

佳乃

普通の一言に尽きる。他ルートとの相互補完的な謎などもあって、1ルート単位で評価するものじゃないのかなー、と思った。後述の美凪-みちるに比べて、佳乃-聖のインパクトが弱かった。その分往人-佳乃の関係に比重が傾いていて、だからこそ最後にはくっつくわけだけどね。佳乃自身については、ビジュアルも内面もそこまで好きではない。ポテトはぱんにゃよりは好感が持てる。
あと最近Twitter等で見かける問題意識として、読み手が特定の知識を持っているかどうかで物語の読まれ方が変わるとかいう話があって。佳乃ルートのラストで空に向かう風船を見ていて「空に浮かんでいった風船がどうなるかということを科学的知識として知ってるか知らないかで印象が全く変わるよなー」とか思った。要は上昇する風船が最終的には破裂するということを知っていると、とても儚い印象を受けるという話。といってもこれは常識レベルの知識なので、人によってそこまで印象が変わるものではないとも思う。

美凪

こんなに抱きしめたくなるヒロインも珍しい。それくらい嵌った。美凪はビジュアルもすごく好みで、髪の色とか立ち絵のポーズとかいちいち僕のツボを突いていてとても素晴らしい。
美凪ルートのエンドは二つあって、一つは夢現(いわゆるBAD)、もう一つがTRUEだ。夢現→TRUEの順番でやったんだけど、どちらも良くて大満足だった。夢現エンドでは往人-美凪の関係、つまり恋愛要素を取り扱っていた。ここでは心の弱い僕が心の弱い美凪に共感するというありきたりなプロセスを経て感動した。夢現で涙腺が緩んでたこともあって、TRUEエンドでは美凪-みちる関係で3回泣いた。みちるが実家に帰ってご飯食べるところで泣いて、屋上で別れるところで泣いて、エピローグで再会するところで泣いた。こっちの感動のプロセスはよく分からない。普通にみちるへの同情かな。ひたすら「良かったねー」的なことを思っていたような気がする。
で、両エンドに共通する特徴として、「言葉の扱い」があるかな、と思った。美凪√中盤までは、良くも悪くも大切なことを言葉にしない、というところがあって。美凪から母へ気持ちが伝わっていなかったために母が心を病んだ。美凪-みちる間ではお互いが言葉に出さずとも互いの心中を慮っていた。美凪-往人間でもそう。往人がにぶいということもあったけどね。終盤では、逆に重要な場面で言葉を使っていたのが印象的だった。夢現√では往人が美凪に自分の意志を口に出すことを求めている。TRUE√では美凪とみちるが互いに背を向けて(言葉以外のコミュニケーション手段を遮断して)言葉による約束をする。
TRUEエンドについて補記しておくと、往人-みちるの約束を、往人がそのまま持っていったのが意外と言えば意外だった。いいじゃん美凪とくっついとけよ、翼の少女と会うのはオレ(プレイヤー)がやるからさ、とは思った。もちろんそうするとルート単位ではみちるとの約束を守れないし、重心が往人-みちるよりも美凪-みちるにかなり傾いてしまうので、そのへんのバランスを取ったのかなー 翼の少女を探すのをやめた佳乃ルートとは対比的だけど、そこは特に注目するところではないような気もする。佳乃ルートのエピローグで、佳乃が往人を翼の少女探しから降ろすためにバンダナの魔法をかけていて、それが美凪ルートにおける往人とみちるとの約束に対比している、とは言えるかもしれない。

観鈴

本筋が語られる、という以上の意味を見出しづらい。良く言えば引き締まった、悪く言えば余裕がないルートだった。端的に言って観鈴に「萌えてる場合じゃない」ので、そのへんが影がありながらもしっかりヒロインしてた美凪との違いか。佳乃ルートで往人が「力を全部使うと消えちゃうかもしれない」みたいなことを言ってたのがここで回収されて一旦エンドになる。
特に印象的なシーンは、二人が寄り添って歩くところと観鈴の日記を読むところだ。
前者については、二人の関係に運命以上のものを見出せた点が良かった。どういうことかと言うとね、往人-観鈴の関係は静かでありながら退屈ではなかったということ。往人-観鈴の関係は言ってしまえば単なる運命で構成されているわけだけど、そこに単なる運命以上のものを感じた、というか。
運命だからくっつく/くっつかない、というだけでは普通に退屈な話にしかならない。彼らはそうではない。往人はなんだかんだで主体的にあの街に、神尾家に居たことが語られる。*4佳乃、美凪ルートがあることからもそれは明確に分かる。往人がそれぞれのルートで主体的に佳乃、美凪と関わっていったのと同様に、観鈴ルートにおける観鈴との関わりも、単なる運命ではなく主体的な選択の結果であった。
後者については、僕が男女問わず「異性が見ていないところで頑張ってる・健気さを発揮する」という描写にめちゃ弱いので。*5最終的にその健気さが異性に伝わるかどうかはあまり問題ではない(読み手の僕が知っているから)。伝わった方が共感は増すだろうけどね。観鈴が日記を読むシーンには、「僕が何気なく過ごしてきた毎日に、こいつはこんな健気なことを……!」っていう感動があって、それは"何気なく過ごしてきた毎日"の意味が全く変わってしまうというところがポイントだよね。オセロで黒、黒、黒、黒…と直線的に並べられてきた石が、終端に白を置かれることで一気に白一色に変わるような爽快感がある。といってもそれはあくまで技巧的な問題で、本質は上記の「異性が見ていないところで頑張ってる・健気さを発揮する」という部分だろう。
あとこのへんで、観鈴の部屋が夕方から夜にかけて暗くなり、それに合わせてBGMも暗いものになって陰鬱な雰囲気を作る、といったKeyお得意の演出がはっきり現れていた。リトバスと通底してるなーと思ったり。

SUMMER

裏葉の立ち絵で涙流してる漫符とか、柳也-神奈-裏葉の掛け合いとか、DREAM編とはまた違う雰囲気になっていた。というかこのゲームはとかく担当ライターによってカラーががらっと変わる感じがする。それをなんとか空中分解しないようにまとめている点は偉いと思う。
ここでは特に泣いたりはしなかった。純粋にイイハナシダナーという印象。一枚絵の中では、最後の柳也と裏葉が前へ進んでいくCGが良かった。

AIR

ぶっちゃけ往人がカラスになるというネタバレを知ってしまっていたので、そこまで衝撃は受けなかった。「そら」という名前は素晴らしいと思う。
で、非常にまどろっこしい感覚を味わいながらも観鈴-晴子の関係を見守っていく。晴子が観鈴の髪を切る絵が良かった。観鈴がゴールする時に不意打ちで「青空」が流れた時にはまたしても泣きかけた。
また言葉の話をすると、「観鈴ちん、強い子」という台詞は、最初は嘘なんだよね。観鈴は全然強くなんかなかった(痛みに強くなっていたのではなく、鈍くなっていただけ)。だけど、最終的には本当に強くなっている。言葉に引っ張られるというか、嘘から出た誠みたいな、そこが感動的だった。
ラストの少年少女について。あのシーンこそがAIRAIRたらしめている部分だと思う。諸説あるだろうけど、僕の受けた印象としては、あの少年少女は僕たちプレイヤーを表していて、極めて批評的なメタフィクションを構成しているのかな、と。つまり「物語読んで感動して、その感動を糧に明日を生きていく、お前達の姿がこれだよ!」「お前達がどれだけ感動して明日を生きていこうと(いくまいと)、物語中の人物に降りかかる悲劇は厳然としてそこにあるんだよ!」ということ。だから、あの少年少女に対して思うところがあるとすれば、それは転じてプレイヤーである僕たちに返ってくるんだろうな、と思った。

その他

音楽について。どれも良い曲ばかりだった。Farewell Songはあまり聴いたことがなかったけど、気に入った。BGMでは夏影が素晴らしい。あれが流れていると何をやっても絵になる。

総評

奇異な物語だった。オリジナリティーが強い、という意味での名作。例えば、膨大な時間を与えられても、これはおそらく僕には書けないだろう。プレイ後には周辺的なことばかり言っていたんだけど、それはこの作品と真剣に向き合うのが怖かったからだ。こんなものとまともに向き合ったら、心が弱い人間はどうかしてしまう。他の人の批評などを読みつつゆっくりと向き合って行こうと思う。
さて、ネガティブを踏まえたポジティブ、悲哀を踏まえた歓喜、苦みのあるハッピーエンド、といったものが僕は大好きだ。やっぱりハッピーエンドは見たいんだけれども、何の悲しみも背景に入れていないハッピーエンドなんてものは、それは単に脳天気でしかないし、現実に悲しみを抱えて生きている僕(たち)にはリーチしないからね。楽しむことはできるだろうけど、救われるか救われないかという点で言うなら救われないだろう。
しかし、AIRについてはその点が極端で、本来前景としてプレイヤーに提出すべきであろう希望がぼやけるくらいに、後景の絶望を描写することに注力されている。もしかしたら麻枝さんは絶望を輪郭線として縁取らないと希望が描けない人なのかな、と思った。*6
麻枝さんがそうであるとは断定できないけれども、希望の定義を「絶望の対概念」としてしまうとそれはそれで不健全だし、本来希望が持ついろんなイメージがスポイルされてしまっていると思う。希望を絶望の対概念ではなく、脳天気でもない形で描くことができるのか、という点をこれから物語を読む上での問題意識にしたい。

*1:この意識がCLANNADへとつながっていくのだろうか

*2:クドわふたーをやってないので今もそうなのかは知らない

*3:日付表示の時もテキストウインドウは消えるけれど、あれはむしろ日付という連続性を強調しているためか、あまり気にならない。

*4:「そんなものいらないんだよ。最初からいらなかったんだ」「歩けばいいんだからな」という台詞の裏返しとして

*5:例えば、まおゆうの女魔法使いとか

*6:リトバスEXAngel Beats!KanonAIRを体験しての感想