自分が知らない分野の話は、全部鵜呑みにしてしまおう

http://anond.hatelabo.jp/20071217010638

 自分が詳しくない分野の話は、ついつい信じてしまうっていうのはある。けれども、信じることが悪いとは思わない。僕は最近、初めて触れる話題の論は全て鵜呑みにしてしまおう、と心がけている。何故かというと、それがその分野に対する深い理解を促進することにつながるからだ。

弁証法の話

 自分が知らない分野ということは、手持ちの情報が少ないんだから、その分野の"正しい理解"がしたければ、そこから情報を増やしていかなければならない。だけどこれを一人でやろうとするとしんどいよね。まず"信頼できる"情報を探す手間がかかる。そこから階段を昇るように一つずつ情報を足していき、自分の論を作る…ってめんどくさいわ!

 だからまずは、どこかの情報強者が手っ取り早く一連の情報をひとまとめにした"論"を読んで、その内容をそのまま信じてしまうということ、これが楽な方法だと思うんだ、最初の一歩としてはね。
 その論を起点にして、支持する論、反対する論、修正する論、いろいろ読んでいき、適宜自分が正しいと感じたものを取捨選択する。こうしてその分野に対する"正しい理解"ができる。正しい知識、としなかったのは、用語の使い方にまで考えを及ぼす必要があるから。今その分野で主流な考え方は何か、反対意見はどこを問題としているか、そういう"流れ"を理解する。ここまでくると、その分野について自分の頭で考えるということができるようになっているはず。

 要はこれも弁証法の話であって、なんでもいいからまずはテーゼを設定しない限り、アンチテーゼもおけないし、アウフヘーベンもできない、ということ。どれを信じたらいいんだ、あーでもないこーでもない、と悩む暇があったら、まずは鵜呑みにしてみよう。

注意点

 ただし、注意することが二つある。

 一つめ。鵜呑みにした論は、できるだけ短期間に関連した論を読んで弁証法を試みること。無理ならはてブでもしておこう。時間が経ってしまうと、○○が言ってた論→誰かが言ってた論→自分の論、となってしまう。意識的に信じたことが、いつの間にか無意識に溶け込んでしまって、もとからあった自分の判断そのものと錯覚してしまう、ということだ。

 二つめ。その鵜呑みにした論は、あくまで弁証法のために意識的に鵜呑みにしたものだから、自分の論ではない。これをはっきりと自覚して、他人に安易に吹聴しないこと。自分がこれからするように、他人も弁証法を用いるとは限らない。まあ信じる方が悪いんだけど、信じた他人に不利益がおこっても自分は責任取れないわけだし、せめて"いい加減なことをもっともらしく言わない"マナーが必要かな。
 しかし、実際は難しいよねこれ。誰が言ってたか分からなくて、どこかで読んだことは覚えてるんだけど、とりあえず自分の意見としておこう、ってなって。結局それが風化して自分の価値観そのものになってしまうわ、僕自身も。それでいいっていう人もいるけどね、誰だか忘れたけど;

余談

 なんというか、2chとかの意見が軽視されやすいっていうのは、"ぽっと出"の意見が多いことに起因するかも、と思った。古くからその分野の界隈でなされてきた議論をふまえていない意見だから、「なに言ってんだこいつ」と思われる。ブログはトラバがあるから、"ふまえる""つながる""流れに乗る"っていうことが割と簡単にできるしね。
 あれだ。倫理の教科書の思想史年表、科学の教科書の科学史年表みたいなものを各分野で作れたらいいのに、と思った。それこそwikiとかで。こういう論があったけど、ここで行き止まりになって新しい論が出てきて、という流れの説明。議論の度に3年前に言われ尽くしたことを言う人がいると、またそこから始めるのか、とだるーい気分になる。

 以下、トラバした増田のエントリの全文引用。

自分がさして詳しくないジャンルの記事

ってうっかりすぐ納得してしまいがちで危ねー!って思った

いや、「何を当たり前の事を?」って思うかもしれんけど

というのも、今までさ。

さして自分が詳しくないジャンルで且つブクマが多数ついて注目エントリーかなにかになってるような記事を見るとさ、大抵それなりに論が展開されてるから、まあ、大体納得しちゃうわけよ。「フンフン。確かにそうだな!なるほど!」とか思って、そんでブクマコメとか見ると「納得」とか「なるほどね」とか言っちゃなんだけど「分かったような」コメントがついてるわけよ。だから余計なんつーのかな、そういう「玄人的空気」に飲まれてというか、なんとなくやっぱりこれは正しいんだとおぼろげに思ってしまうわけ。そういう傾向が今まで結構あったことに、さっき気付いたんだよ。

別にブログで仰々しく論をぶっていても、納得コメントが多数ついてても、注目エントリーになっていても、

「別に正しい訳じゃない」

「ていうか寧ろ、全然間違ってる事がある」

ってことに、いやほんと今更お前何いってんの?って感じだろうけど、気付いたわけよ。

勿論注目されたエントリー=正しい!とか思ってたとかいう話じゃなくてな。

俺の中で、無意識的に、「なんとなくブログで(しかも結構はてな界隈で有名ぽい人が書いてりゃ倍率ドン)「○○が何々な理由」とかいうかんじで、新書っぽいタイトルで仰々しく論をぶって、納得コメントが多数ついてるとそれはなんとなく正しい」とか繰り返すけど無意識的に思っちゃってたわけ。なんつーの、中学生の時思ってた、新聞に書いてあることはなんとなくほとんど正しいみたいなそういう感覚。

でも、先日、俺のそこそこ詳しいジャンルで、注目されてた記事をふっと読んで、気付いちゃったわけ。

「正しいとは全く限らない」

「ていうか寧ろ全然見当違いで、何これ??みたいな論も結構含まれてる」

ってことに。

でもなんとなく、体裁整った文章ってのは、俺が思うに人って信じやすいんだろね。新聞でも本でもさ。だからネットでも、ブログとかみたいにちゃんと記事っぽく整えられた文章ってそれだけで何となく信じてしまいそうになる感じがある。言ってることわけわかんないかも。ごめん。なんていえばいいのかよくわからんのだが。

でも、「別にブログできちっと書かれていてコメント集まってるからって全然間違ってる論も普通にある」んだよね。うん。当たり前なんだけど。俺も分かってるつもりでいたんだけど。でもいま真にそれに気付けたような気がする。「そんなのわかってるよ」とか想いつついままではちっとも分かってなかった気がする。

はてなで注目集めてる記事だからって、全然間違ってたり、滅茶苦茶古臭い論だったり、知ってる奴から見たら「はぁ?」ってな論もフツーにあるんだよな、ああ、あるんだよ。なんで俺そこに気付けなかったのか。なんとなく正しいように思ってたけどそうじゃないんだ。ブクマコメで知ったように「納得」「その通り」「これは正論」とか偉そうにぶっててもそれらは全然素人が勘違いしてコメントしてるだけってのは普通に有り得ることなんだよ、ああ、俺のバカ。普通に有り得るのに、なんか偉そうに「これは正論」とか言ってる人がいるとどことなく「え?そ……そうか……な?」くらいは思ってしまうっつーか、なんつーか、あぁーーーーーー怖え、無意識怖え