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そんなわけで。冬コミで頒布される「恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人10説(以下、10x10)」にタカヒロ論担当として文章を寄稿している。タイトルは「憧れのあとさき」だ。
「10x10」については『恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説』発売予告と内容詳細 - then-d’s theoria blog ver.を、「10x10」の前書「恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人30説+(以下、30x30)」については特設サイトや『エロゲシナリオライタ25人×25殺』(改称:恋愛ゲームシナリオライタ論集30人×30説+)企画 - then-d’s theoria blog ver.を参照していただきたい。
■概要
『恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説』発売予告と内容詳細 - then-d’s theoria blog ver.
『恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説』
制作サークル名 :theoria(テオーリア)
頒布開始イベント:コミックマーケット79
頒布開始日 :12月29日(水)〜12月31日(金)(※12/5の文学フリマではないのでご注意ください)
頒布先サークル名:12月29日(水)=「GameDeep」(西ゆ−05b)
12月30日(木)=「liliane.jp」(予定)
12月31日(金)=「theoria」&「豆満江開発機構」(合体:東P−42ab)
頒布価格 :イベント頒布価格=2,000円(予定)
ページ数 :現在編集中。確定後にお知らせ。今回も厚くなりそうです。
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本論の概要を記しておこう。今回は「姉、ちゃんとしようよっ!」「姉、ちゃんとしようよっ!2」「つよきす」「君が主で執事が俺で」「真剣で私に恋しなさい!」の5作品を「タカヒロ作品」として論考対象に設定した。本論では、タカヒロ作品に通底する「明るく楽しい」「キャラゲー」という制作スタンスに着目し、タカヒロがそれらの理念をどのように実行してきたのか、そうして何を達成したのかを検討することを主な目的としている。目次は以下の通り。散りばめられたキーワードから内容を想像して欲しい。
憧れのあとさき
1.序
1.1.本論の目的
1.2.本論の構成
2.プロフィール
2.1.略歴
2.2.嗜好
3.理論
3.1.キャラゲーとしてのタカヒロ作品
3.2.シナリオライティングの三分類
3.3.ワールド
3.3.1.タカヒロワールド/感覚共有、「明るく楽しい」世界観
3.3.2.コミュニティ/アイデンティファイ、セーフティネット
3.4.ストーリー
3.4.1.コミュニケーション/他者との関係性
3.4.2.テキスト/掛け合い
3.4.3.ルート/選択の自由
3.5.キャラクター
3.5.1.デザイン/ストーリーからの自立
3.5.2.主人公と群像劇/主体と主観
3.5.3.バイタリティ/祝福
3.5.4.サガ/不変性
3.6.総括
4.作品論
4.1.姉、ちゃんとしようよっ!
4.1.1.個性的な姉達
4.1.2.柊家におけるコミュニケーション
4.1.3.姉属性の不変性
4.2.姉、ちゃんとしようよっ!2
4.2.1.『姉しよ』からの継承と発展
4.2.2.歩笑と空也
4.2.3.姉属性で統合される柊家と犬神家
4.3.つよきす
4.3.1.学園コメディの原型
4.3.2.自立するキャラクター
4.4.君が主で執事が俺で
4.4.1.家族の再構成
4.4.2.他者からの感化、イメージの更新
4.5.真剣で私に恋しなさい!
4.5.1「川神」というセーフティネット
4.5.2.川神一子は挫けない
4.5.3.これはこれで
4.5.4.主人公とヒロイン
5.結
5.1.憧れ
5.2.プレイヤー、キャラクター、シナリオライター
本文:約35000字、注:約4500字
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今現在において美少女ゲームのシナリオライターとしてタカヒロを語ることの意義について、軽く説明しておこう。
そもそも何故タカヒロを論じるのかといえば、僕がタカヒロ作品を好むからである。後述するように、僕はタカヒロ作品に対して肯定的であり、そのような立場から今回筆を執らせてもらった。
タカヒロ作品は現在の美少女ゲーム業界において上から数えた方が早い程度に売れていると思うし、そういった理由からもタカヒロを語る意義は見出せるだろう。しかし、「何故タカヒロ作品は売れるのか」というマーケティング的な論点は取らなかった。僕の関心や能力の範疇を超えるからだ。タカヒロ作品が多くの人に受容されていることはタカヒロ論が要請される理由にはなるけれども、タカヒロ論の内容をそこに留める理由にはならない。既述のように、本論の主旨はタカヒロ作品がどのように「明るく楽しい」「キャラゲー」となったか、その上で何を達成したのか見定めることである。
ただし、本論においてはタカヒロと他のシナリオライターを、あるいはタカヒロ作品と他の作品を相対的に見るような視座を用意していない。そのため、本論で示すタカヒロ作品の特徴はタカヒロ作品だけの特徴ではないかもしれないし、タカヒロの達成はタカヒロだけの達成ではないかもしれない。このように、本論が美少女ゲーム界の中で通時的・共時的にタカヒロを捉えられているかどうか不安が残っている。タカヒロについて適切なマッピングを行うことは、今後の課題としたい。
さて、本論で示しているように、タカヒロ作品はホームコメディと学園コメディに大別できる。きゃんでぃそふと時代の「姉、ちゃんとしようよっ!」から今日までのみなとそふと時代の「真剣で私に恋しなさい!」まで、タカヒロ作品はホームコメディ→学園コメディという流れを2回繰り返している。「真剣で私に恋しなさい!」をタカヒロ作品の集大成として見ている僕にとって、今この時期はタカヒロを語る上で非常にタイミングが良い。1周目(きゃんでぃそふと時代)と2周目(みなとそふと時代)の比較検討が容易であるし、来るべき3周目に向けて*1これまでの作品をきりよく整理することができるからだ。
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全体字数が約40000字と肥大化してしまったことには反省もしているけれど、その分僕がタカヒロ作品に対して現在持っている問題意識はほぼ全て投入することができた。本論に含まれる複数の論点は、ブログで小出しにした方が良かったかもしれないと思いつつ、せっかくの機会なのでまとめて書いてみた。
長大な文章を書いていてしんどい思いをすることもあったが、それはこれまでろくに論考を発表してこなかったつけが回ってきたという感じである。なにしろ、僕は最愛のエロゲ「真剣で私に恋しなさい!」についてさえ、未だにレビューや感想の類をブログに掲載していない。数年間Webまたは同人誌等において論考を重ねていれば、「詳しくは過去の拙論を参照していただきたい」「続きはWebで」メソッドが使える。しかし、そのような文章を積み上げてこなかった僕には何もかも一から書き出す他なく、その点では苦労した。*2
本論には多くの要素を盛り込んでいるので、どれか一つでも読者の興味に答えていれば嬉しい。論者としては終章に示した「憧れ」についての考察こそが最も世に問いたかったことである。終章は僕の私的体験を如何にして普遍的な言説として他者に伝えることができるか、ということに注力して書かれている。そして、終章に至る過程はある意味でそれに奉仕するために存在する。換言すれば、
大和「いいか? 寒いセリフも寒くない温度まで上げて言えば寒くねーんだよ。覚えとけ」
(「真剣で私に恋しなさい!」一子ルート)
という直江大和の言葉に倣い、本論の膨大な字数は終章最後の一文を読者に温かい温度で伝えるためのものと見なすことができる。だからといって読者が僕の問題意識に囚われる必要はない。本論から得たものは、各自が好きなように持ち帰ってくれればよい。
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タカヒロ論を書くにあたって僕が取ったスタンスは肯定的なものだ。僕は作家論に限らず書評やレビューなどでも対象について肯定的な文章を書くことが多い。その理由は、何かを肯定する文を書いていた方が気持ちが良いからとか、否定的なエントリを書いても時間の無駄だと感じるからとか、そもそもこのブログの意義の一つが「自分にとって肯定的な意味を持つものを記録する」ことだからとか、そういった個人的なものだ。
本論を肯定的に書いた理由について、あえて個人的な価値観以外のことを言うなら、三島由紀夫が「作家論」のあとがきで述べたことと近いだろう。
刑事が被疑者を扱ふやうに、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱ふ作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは限らない。[…]否定が逸するところのものを肯定が拾ふことがある。
(三島由紀夫「作家論」あとがき)*3
肯定によって"否定が逸するところのもの"を拾い、読者に提供することができるのではないか。もちろん逆も然りだが、否定的な見地からの論考は他の人に任せようと思う。*4
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本論には、9791氏のエントリを始めとする先行言説を引用している部分がある。9791氏のブログは更新が停止して久しい。このように作者が不在であるテキストを引用する際にはその妥当性について注意を払ったつもりだが、恣意的な引用だと判断された読者は積極的に指摘してほしい。
と言ったそばから、現在連絡がつかないなしお氏について言及する。当初の予定では、タカヒロ論は僕となしお氏が担当するはずだった。僕がタカヒロ総論を、なしお氏がタカヒロ各論を執筆して相互補完的にタカヒロを考える、というのが僕の青写真であった。
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今回「恋愛ゲームシナリオライタ論集」に原稿を寄せる遠因として、月刊ERO-GAMERSに触れておきたい。昨年、もりやん氏が主催するこの企画に参加させてもらい、もりやん氏、simula氏、MAKKI氏、なしお氏と「真剣で私に恋しなさい!」について語り合う貴重な機会を得た。*5
これをきっかけとして、僕はいわゆるエロゲ批評クラスタに足を踏み入れることになった。そして、その選択は正しかったと思う。もりやん氏を始めとする当時の同席者の方々には改めてお礼を言いたい。
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あとがきにも書いたけれど、本論を書く上では多くの方から直接・間接的な助けをいただいた。深く感謝したい。これからも、先輩方が積み上げてきた言葉の上にあぐらをかくことなく、真摯に自分の論考を重ねていく所存である。
本論が誰かに捧げるだけの価値を持つならば、今年惜しくも亡くなられた梅棹忠夫氏に捧げたいと思う。氏の著書「知的生産の技術」に出会わなければ、今の僕はなかった。