ひとしきりあって。
僕は、はてブのタグは基本漢字でつける派だ。それは漢字が持つ、連結語が作りやすいという性質による。
要素を連結する
あるエントリをブクマするときに、その内容が持つ性質が一つのタグで片付けられるなら幸いだ。しかし、たいがいの場合においてそうではない。複雑な要素が絡み合っているのが普通だろう。僕が思うに、タグづけとはその個々の要素を分類するためにあるのではなかったか。要素の絡み方ではなく。
もちろん、特定の要素の絡み方を、あらたな要素として名詞化することはある。しかし、そこで要素の絡み方自体に一つの語でタグを与えてしまうと、収集がつかなくなる。ここで、連結語が作りやすいという漢字の性質が有効な武器になる。
僕のタグづけの例
例えば、ある時は教育社会学というタグを使い、またある時は社会教育学というタグを使うと、どうなるか。そのままでは二つのタグになってしまう。こんな調子ではタグクラウドが肥大化して後々面倒だ。僕はこの二つを、教育、社会、学、という三つのタグで分類する。
教育社会学の情報を再検索したい時は、教育タグの中で社会タグと学タグがついているものを探せばいい。
他に自分ルールとしては、主観が多くの部分を占める場合は観、何らかの理論を根拠に物事を説明している場合は論、体系化された学問的アプローチが見られる場合は学、のタグをつけている。この観、論、学、という語は非常に便利で、○○観、△△論、□□学、といった連結語が作りやすい。
このように、ある程度の数の基本語があれば、複雑な事象や概念をふくんだエントリにも対応ができる。
言語感覚の問題
簡単な語を連結させて新たな語を作り出せるところが、漢字を用いた日本語特有の性質だと思う。僕はやはり日常使っている日本語の言語感覚に近いものでタグづけしたいから、こういう手段をとっている。
しかし、誰しもが漢字でタグづけすべきとは思わない。普段からプログラム等で英語の言語感覚になれている人は、タグづけも英語ですればいいだろう。僕もgoogle等の固有名詞や、使い慣れた語に関しては英語でタグづけしている。
要はその人が持つ言語感覚に近いものでタグづけすることが重要であって、そこから各人がある程度の自由度を持たせたルールを作っていけばよい。それは個人的なタグでもソーシャルなタグでも同様だ。
避けたいのは、先にルールを作ってしまって、タグは全部英語にしよう等と無理をすることだ。時とともにしんどくなってくるだろう。情報を整理する上では、やっぱり時ともに楽になっていくような方法を用いた方がいい。