1/144 HGUCνガンダムのプラモデルを作った

1

そんなわけで。3年前、2009年に次のような記事を書いたことを覚えている読者はおそらくいないだろう。
1/144 HGUC νガンダムのプラモデルを作るのに役立つエントリ集 - 詩になるもの
1/144 HGUC νガンダムのプラモデルを作るために買ったもの - 詩になるもの
いろいろな巡り合わせで購入することになったこのモデルだが、モチベーションが全く湧かずに3年間積んだ状態になっていた。ふと思い立って5月半ばに製作を開始し、1週間ほどかけて完成させたので写真を記録しておく。

2

小学生の頃が僕のガンプラ全盛期だった。当時は幼く拙い作り方しかできなかった(作った後の遊びの方を重視していたこともある)。10代も後半になってからはまともにプラモデルを作ったことがない。今回はインターネットを通してガンプラ製作に関する記事を読み、丁寧に作っていく事を心がけた。
使用した道具は上記のエントリに書いた通り。ニッパー等は持っていた。

ガンダムマーカーベーシックセット
ガンダムマーカー消しペン
ガンダムマーカースミ入れブラック
タミヤマスキングテープ6mm
アイズマスキングテープ1.5mm
Mr.スーパークリアー つや消し
タミヤフィニッシングペーパー細目セット
タミヤフィニッシングペーパー仕上げセット

1/144 HGUC νガンダムのプラモデルを作るために買ったもの - 詩になるもの

一番参考にしたのはHGUC・RX-93νガンダムの製作・作り方。ガンプラ120%!
ランナーを洗浄するところから始めて上半身から作っていった。特にゲート処理はかなり力を入れて行った。

今回ヘッドパーツはうまくスミ入れしてディティールアップできたと思う。カメラアイはシールを使用。振り返ると赤いパーツは色塗る必要なかったなあ。

背面、暗色系にイエローで1本ラインを入れるという塗装がやや難しかった。

よく見るとわかるが、この時点で肘関節の向きをミスっている。だいぶ後になって気付く。

ライフルやバズーカ、シールドができたので持たせてみる。

つま先、これも暗色にイエローを乗せるのがしんどい作業だった。マスキングテープと消しペンが活躍。

下半身のパーツがひと通り完成したところ。上半身・下半身ともにこれくらいまとまったらクリアスプレーでコーティングしている。

νガンダムの特徴であるフィン・ファンネル。シールに頼らずガンダムイエローで塗った方がよかったか。そのままだとどうしてもシールと成型色に差が出てしまう。

3


差し替え用パーツなどの細かいものも作って完成。背景が綺麗なディスプレイ台が欲しいけどそんなものは持ち合わせていなかった。

背面。この角度で見るとあんまりかっこよくない。

背面下から。脚部・スソの裏側は油性ペンで黒く塗るとよい、というアドバイスを受けて実行している。

側面。太ももが前後に外れかかってしまっている。

斜めから。シールドは写真で見るとデカールの縁がはっきりしてるね。

ライフルを構えたポージング。

バズーカを構えたポージング。

ファンネル装備で斜め側面から。

ファンネル付けても重さで傾いたりせずちゃんと自立する。

やはり成型色の黄色とガンダムマーカーのガンダムイエローで色合いが違っているところが気になる。


ビームサーベルを構えたポージング。

4

成人してから初めてのガンプラ製作はしんどくもあったけど概ね楽しく、好きな機体を形にする喜びが味わえてよかった。
一番気を使ったゲート処理・塗装は丁寧にやればやるほど効果が出るから、作業のしがいがある。小学生の時は全くできなかった継ぎ目消しは、本キットの巧みな構造によって必要なくなっていて非常に助かった。
反省点はクリアスプレーの扱いかな。細かい粒子で重ね塗りする技術、というか周到さがなかったかもしれない。また暇な時にもうひと吹きするか。
この先ガンプラを作ることはもうしばらくないだろうけど、もし製作に臨むことがあれば、今回の経験は大いに役立つだろう。

ゲーム「原罪の教室(旧題:牝奴隷)」 感想

そんなわけで。しばらく前にやった、アトリエかぐやの学園破戒AVG「原罪の教室」の感想を書く。
これはいわゆる黒箱・陵辱系作品なんだけど、僕の中では姉ゲーとして強く印象に残っている。
内容は、主人公の高宮遼が姉(作中では一応義姉という体だが本来的には実姉)の高宮紗月から依頼され、学園の女学生や女教師を調教し破滅させていくというもの。メインヒロインである神崎明日香(学生自治会の会長)・森野みなと(チアリーディング部の幼なじみ)・長谷部留美(遼のクラス担任)の三人を攻略し終えると、紗月ルートが開放される。明日香・紗月ルートでシナリオ分岐があり、ハーレムエンドも存在する。

明日香・みなと・留美

ヒロインは総じていい役者を揃えている。明日香は一色ヒカルが完璧にハマっていて大変よい。みなとは青川ナガレのみるみるボイスが嗜虐心をそそるし、留美飯田空が優しく教え子想いな先生を好演している。
攻略した順番は留美→みなと→明日香。各ヒロインにふさわしい堕とし方をしているから、ゲームの進行に説得力がある。ただ、この娘たちは遼に対してわりと好感を持っているから、「心の底から嫌がる女の子を無理矢理……」といった醍醐味はない。むしろ好きでいてくれた人を壊してしまう罪悪感の方が香り立っている。
そして、どのヒロインを攻略するに際しても遼は紗月のことを常に意識している。

紗月

爛れた関係の姉弟っていいよね。榎津まおの声は蠱惑的で謎めいた紗月の雰囲気を上手く表現していた。
姉の魅力は弟によって発見され語られる。遼は筋金入りの弟だから、紗月への視線が愛に溢れていて快く共感できる。ただ、姉への感情は純粋な愛だけではなく、屈託のある想いもこもっていて複雑なところがある。
とにかく遼は弟力が高い。風呂場に残された紗月姉さんの髪の毛一本で股間を元気にさせ、手にとって「ああ、姉さんの匂いだ……」とか言い出す彼に戦慄を覚えた。留美ルートでは留美を紗月に見立てて抱き、その行動に自ら動揺する場面があり、紗月に対する入り組んだ気持ちが見て取れる。みなとルートではみなとが紗月と自身を比べることすらおこがましいと内心でマジギレするあたり、真性である。
書き留めておかなければならないのは、遼は紗月との"一度壊れてしまった、いびつなままのカタチをこそ失いたくな"いと当初は考えていたことだ。
紗月の方も遼を深く愛してはいるが、最奥まで心を開いてくれず関係の決定的な進展は避ける遼に思うところがあり、とある計画を発動させていく。その過程に明日香たちの牝奴隷化があるわけだ。計画が完全に果たされた時、現状維持を志向していた遼はどのように心境を変化させるか、というところが見どころである。
紗月が箱舟計画を実行する原因となった出来事は、ゲームの中盤からほぼ明らかになっている。まず、遼に襲われて性的関係を持ってしまったこと。*1そして、遼との関係を世界(社会)に認められなかったことだ。遼と愛しあうことを赦し祝福してくれるような世界を作る、という紗月の理想はおぞましくも哀しい。
箱舟計画の一環として、学園行事・辰陵祭を性の狂宴にしてしまい、紗月と遼が見学していくシーンが気に入った。性倫理が僕達のそれとはかけ離れた世界、といえば例えばsofthouse-seal作品が思い浮かぶが、ああいった性の楽園を人の手で作ろうとすると地獄が現れるよ、という話として読める。紗月と遼もseal的世界の下に生まれていれば業を深めないで済んだのにね……紗月個人陵辱ルートのクライマックスで、方舟の者たちから祝福されて紗月が喜ぶシーンはほろりときた。
プレイした時期はまだ「雫」の記憶が新しく、紗月を見ていると月島兄を思い出していた。彼女はあの人ほど自暴自棄にはなっていないものの、近親相姦を原因としてめちゃくちゃに性が乱れた世界を作り出すという点が共通している。
紗月個人恋愛ルート(と個人陵辱ルート輪姦END)では、正常位という体位に特別な意味を持たせ、普段は避けてきたその体位を再現することで姉弟の関係を決定づける役割を与えられているところに感心した。
実は初めて近親相姦した日のことをトラウマにしてしまっているのは遼の方なのだが、さすが黒箱系エロゲ、トラウマは初めてと同じ場所・同じ体位でセックスすることで治療するというメソッドを示してくれている。これが情感豊かでいいシーンなんだよね。

――そうか……あの日のことを辛い想い出にする……そのことが、姉さんにとっては辛いことだったんだ……。
(「初デート〜紗月が抱き続けた思い」)

わだかまりを捨ててあの日を再演し、絆を結び直す姉弟の姿が印象深い。
遼にお願いしていつもの「姉さん」ではなく「お姉ちゃん」と呼んでもらい、それだけで絶頂する紗月。どれだけ弟好きな姉なんだよいい加減にしろ。
ただ、一つ気にかかったのは遼が終盤に"『姉さん』とは呼んでるけど……俺にとって姉さんは『紗月』という一人の女性だよ"という発言をしている点。これは最後まで姉弟関係を貫いて欲しい(または恋人かつ姉弟という関係に落ち着いて欲しい)と願う派閥の姉萌え勢からすると看過できない発言だ。
しかしどうだろう。遼は本当に紗月のことを『姉さん』として見たことが一度もなかったのか? どうも彼の語りからはそう思えない。やはり、仮初とはいえ人間は使った言葉に引きずられるところがあると僕は考える。もし遼の言うとおりなら、プレイヤー以外誰も覗かないモノローグで『姉さん』と紗月を呼ぶのは少し不自然ではないかな。
ということで、「遼は口では紗月のことを女性としてしか見たことがないと言いつつ、心のどこかでは姉として見ている部分もある」説に一票入れておく。
発売当時の姉好きユーザーのリアクションは以下のリンクから見ることができる。
年上系ヒロインまとめサイト - 姉ゲームまとめ 牝奴隷 〜犯された放課後〜
本作に加えて、別ラインながら「姉汁」も出している2005年のアトリエかぐやは素晴らしい姉ゲーメーカーだったんだな、ということを再確認した。
原罪の教室 KAGUYAコレクション[アダルト]
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*1:幼い紗月がものすごくかわいい。

ゲーム「猫撫ディストーションExodus」 感想

そんなわけで。WHITE-SOFTの続・揺らがないアドベンチャー「猫撫ディストーションExodus」をプレイした。litfさんの猫撫ディストーションExodusシーンタイトルリスト - Lost in the Frontlineを見て話を思い出しながら書く。

Exodus

最初はいまいちモチベーションが上がらなかった。
読み飛ばしていい台詞があまりないから、クリックはゆっくり目になる。
進行速度が遅いのは内容のせいもあって、というのはExodus編序盤は「取り立て」の話になっているから。

樹いわく、
「時間はいつも後ろから追いかけて来て、俺をせき立てる」
そんな感じの後ろから追いかけてきました。
WHITESOFT 猫撫ディストーション Exodus»Special

前へ前へと進むわくわく感よりも、後ろから(樹の)過去の所業が現象となって追い立ててくる感じが強くてしんどい。インガオホーである。あと序盤から猫さんがかわいい。
OPムービー後(Exodus Chapter1から)は自分の中でエンジンかかった感じがして俄然面白くなってきた。
Exodus編は無印を踏まえに踏まえているから、無印の理解が危ういと本編の読解が絶望的になる。
これは数学の学習みたいなもんで、理解が階段式なんだよね。ステージ1で得たものを用いないとステージ2に登れない。ステージ3以降も同様、という。
ただ、階段式の理解モデルにおいては無理やり階段を登って見下ろすことで一段下のステージの内容が理解できる、ということもある。
ステージ1で得たものを用いないとステージ2へ行けないということは、ステージ2に辿り着いた時点でステージ1から得るものを得ているということだ。わからないなりに総括して次のステージへ行ってしまえば、それはそれで何とかなる。そして、エロゲではクリックするだけでステージを(仮に)登っていくことができる(教科書のとあるページの内容を理解していなくても次のページをめくること自体はできるように)。
僕が無印の内容を忘れかけていても、それなりにクリックしていけば樹や琴子やギズモたちが総括してくれる。さすがに全てを彼らに任せてしまうわけにはいかないが(矜持的な意味で)、ずいぶんと助かった。Exodusは前作で語られなかったことをかなり明示的に語ってくれるので、思考するにも暗中模索ということはない。*1
先行レビューではyosh10さんの感想が読解の参考になる。また、vostokさんの感想も面白く読めた。

内容は言うことなしで素晴らしい。
結衣姉さんがかっこよかった。不意に姉さんの声が聞こえるとすごく安心する。
猫耳琴子もかわいいんだけど、あそこではギズモの方がエルダーになっていることに注目したい。琴子はギズモのことを妹ができたみたいだと言っていたけれど、紆余曲折の末にギズモがお姉さんになったりもする。樹からすれば二人の長幼はささいなことかもしれないが、ギズモが嬉しそうだったことにはそんな理由もあったんじゃないかと思う。
新しく世界へやって来る者を歓んで迎えるための言葉を編む。

Role playing Organism

1

式子さんマジグレートマザー。思いの外ボリューミーだった。いいものが観られて嬉しい。
気に入ったフレーズを幾つか拾っていく。
「家族のすてきな揺らぎ」。

【樹】「家族は揺らいでいるからこそ、揺るぎなく家族になれる」

このレトリックが快い。

それは、七枷家だけが膨張して、なし崩し的に周りを取り込むような暴力的な家族(グレイ・グー)ではなく。
周りの社会も家族の一員と認めていく、調和する家族(ハルモニア)。

祝福の言葉によって、家族はどこまでも広がり届いていく。式子さんの優しさは五臓六腑にしみわたるでえ。

【琴子】「――ここが、最大幸福(グレイテスト・ハピネス)です」

前作に続いて、OPムービーで観た台詞が予想外のポイントで発話されるから面白い。
祝福、想像力、愛によって、すべての可能性を共存させてくれる。そんな母さんと樹が、"世界へと開かれた2人きり"となって口づけを交わす。このシーンは絵も語りも何もかもが素敵でうっとりする。

2

結衣「結衣はこれから母さんのことを何て呼べばいいんだっ!?」
結衣「今まで通り母さんでいいのか!?でも、義理とはいえ妹だぞ?」
結衣「元々ルックス的にムリがあったのに、さらにムリ度が上がってる……!」
結衣「いっそのこと母親と妹を融合した新しい概念を導入するべきか……!?」
式子「新しい概念ってなぁに?」
結衣「そうだな……かあうと?」

ここに至ってはもはやエルダーも何もしっちゃかめっちゃかである。
あと、Exodousになって新規収録された燃え系BGMの使い所が何故か笑いを引き起こす。

Awareness Human

思いの外あっさりと終わった。この娘4シーンもあって大変よろしい。おなか触りたい。
しかし、樹と柚が(ノイズ混じりで)家族に見守られてるところに一抹の気持ち悪さを感じる。

琴子色

婦警さんカワイイヤッター!
ここでは樹と琴子を言祝ぐギズモに目頭が熱くなる。猫に貰った贈り物は決して忘れ去られない。

メイド in world

終盤にこのゲーム唯一のシナリオ分岐がある。「ギズモの言葉」と「今の循環」、どちらも是非無き終わりであり、ものがなしさとおかしみ(突然戯画化された七枷家のみんなや猫たちの絵)を感じる。

Time is Money

何も言えないし言わない。ただ、結衣姉さんが口にした永遠の意味を僕は考え続けていこうと思った。

僕の言葉が本作の格についていけておらず、反省しきりである。
それはともかく、全編終了したにもかかわらず全然終わった気がしない。というのも、これは猫撫無印と二つで一つの作品であるように思うからだ。Exodusを終えた時、心は前作を志向する。前作をやりたくなるということは、よい続編であるという一つの証だろう。両作をプレイすることでできあがる円環はたいそう美しい。魅力的なループだけれど、ひとまず脱出させていただく。
猫撫ディストーションExodus[アダルト]
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*1:ここまでしてもらって"全てはゴミ それか光"という歌詞の表す事柄がようやく分かった。

ゲーム「プリンセスX」 感想

1 序

プリンセスX〜僕の許嫁はモンスターっ娘!?〜 公式サイト
そんなわけで。自分でも何故今このタイミングで本作をやっているのかわからない。
全体の印象としては特に好みではないものの、ところどころに仕込まれた質の悪い冗談のようなギミックが面白かった。
しかしこれを魔物娘萌えゲーと思って買った人はほんとご愁傷さまとしか言えんね(僕はわかってて踏み込んだからダメージはほとんどない)。やる前からわかってたことだけど、本作は僕の定義に照らし合わせれば「魔物娘もの」ではない。
それでいて副題に「〜僕の許嫁はモンスターっ娘!?〜」とか付けて魔物娘ものの皮をかぶり、Vanadisファンら魔物娘好きを取り込もうとしてくるからたちが悪い。*1「ジャンル:モンスター娘のハーレムラブコメ! ADV」とかおふざけも大概にしろ。
未プレイ者はブランドと企画者、そこから生まれる前評判に目を通しておこう。伊藤ヒロ氏は「ラブロマンスものだけで話を作りたくないんです」という発言*2をしているようなシナリオライターだから、単に魔物娘に萌えるだけで終わるはずがないな、とは思っていた。ちなみに僕が伊藤ヒロ氏企画作品を遊ぶのは初めてだったはず。

2 各要素

シナリオやテキストはゲーム自体によく馴染んでいていいんじゃないだろうか。ちゃんとしているし。
音楽は「ヒャッハー」が好き。
セーブロード周り。分岐が複雑なゲームなので、自然と選択肢セーブを多用することになる。が、多くの選択肢は左姫と右姫の顔アイコンを選ぶ形の二者択一であるため、セーブ画面のスクリーンショットではぱっと見どの場面の分岐なのかがわからない。日付以外の文字情報がないからね。ロードしても、ロード時点以前のバックログは消去されているため確認できない。何のフラグを担う選択肢であるかを忘れてしまった場合は、どちらかを選んで数クリックすることで確認するしかない。せめて章タイトルを書く、あるいはセーブデータにコメントを付けられれば自分で文字情報を与えられるのだがそれもなし。
忘れるな、もしくは顔アイコンの前、左姫と右姫が選択肢の説明をしている場面でセーブしろ、ということなのか……
お気に入りキャラはメインヒロインのナージャ。しっぽがカラカラ音を立てるのがかわいい。基本このゲームのキャラデザはゴテゴテしてるわりにその装飾が魅力に繋がってない感じがするのだが、このSEはよし。

3 魔物と怪物

本作の魔物観は、例えばVanadisの魔物娘シリーズのそれとは違うものだ。魔物の「魔」、つまり人を人たらしめるものがあるように魔物を魔物たらしめる何か、はあまり重要視されず、異種異類であることがピックアップされる。いやまあVanadisとかの魔物娘もだいたいそうなんだけど。
そもそも、僕はこれまで「魔物娘」という呼称を用いていたけれど、本作の副題やテキストを鑑みると「怪物娘」の方が正しい。魔物と怪物では微妙にニュアンスが違う。魔物は魔性を持ったもの(magic creatures)であり、怪物はあやしいもの、ばけもの(monster)である。*3
また、「真の怪物とは?」のエンディングテキストによると、本作における怪物とは生来的なものではなく「なる」もの、後天的なものであるらしい。なるほど。私見では、怪物の方がより正体が知れず恐ろしい、脅威的な存在だ。
ということで、本作を怪物娘ものとしてではなくあえて魔物娘ものとして見ることにどれだけの妥当性があるかは疑問だ。しかし、怪物と魔物の違いに気付く前にテキスト書き上げちゃったので、僕の魔物観を紹介する意味でもここに記しておく。以下の文章では、必要なら「魔物」を「怪物」として読めばいい。

4 魔物観

魔物を考えるにあたっては、本質が魔的であることと実存が魔的であることを明確に区別すべきだと思っている。
魔物の魔物たる所以、「魔性」("ませい"か"ましょう"、どちらの読みがふさわしいのだろう)は何に依拠しているか、というのが最近の僕の問題意識だ。そして今のところ、僕は本質的に人間に害をなすという点をもって「魔性」を持つ、「魔」であるとみなす立場をとっている。「人間に害をなす」という部分はマイ定義なので差し置くとして、とりあえず本質か実存かで言えば本質派よりであると言える。
振り返って本作の魔物娘はさて、どちらかと言えば実存が魔的である。それは決して誹謗されるものではないが、僕が探し求めている魔物娘ものとは違うという話。ちょっと端折ったけど、「実存が魔的」についてはまた後日詳述したい。*4

5 本作における魔物

少し違う言い方をするなら、そう、要はこのゲームの「魔物娘」ってガジェットでしかなくね? という気はする。このへんで魔物娘をひたすらに愛好する人たちはふるいにかけられるわけだね。
「異種」とは自分たちと異なるということであり、「自分」が本位になっている相対的な言葉だ。極端なことを言うと、異種であることを軸に話を組み立てるのであればヒトの肌の色・人種ネタで事足りてしまう。
例えば、機械帝国ルートでは話を転がす異種要素がヒロインの「ガワ」だった。それは果たして魔物を用いなければ成し得ない表現だったか?
「○○ものとして世に出すのであれば、○○ならではの要素を盛り込んで欲しい」、という一般論の○○に魔物を当てはめてみよう。
「魔物娘ものとして世に出すのであれば、魔物娘ならではの要素を盛り込んで欲しい」。
そこで「異種姦」、つまり魔物であることの(身体的)特徴を活かしたセックス、がセールスポイントになるところがエロゲの恐ろしいところだよね。抜けるか抜けないかみたいな問題は別として、うわべだけでも「魔物ならではの要素を作中に取り入れよ」という課題をクリアできるし。
逆に言うと、Hシーン以外の部分に魔物ならではの要素がないと本質派には辛い。「ナリはこんなんだけど、心を通わせることはできるんだぜ」みたいなテンプレ展開だと困ってしまう。
では、この作品の魔物娘と彼女らにまつわるお話には、魔物ならではの要素がどのように含まれていたか確認していこう。

6 魔物と人間

最初にプレイしたのは機械帝国ルートの2エンド。両エンドは恋情(思い出)と常識(おもいこみ)という二つの心のありようを対にして成り立っている。先ほどの話に照らし合わせると、<<42>>ルートよりもR-コマドリルートの方が本質系魔物娘ものとして面白いんだなー コマドリちゃんマジクレイジーだし。それに付き合う慎一もアレだけど。
ただ、こうして両ルートを比較してみることそのものが楽しかったりするから、<<42>>ルートがよくないというわけでもない。
右姫ルート、これはモンスターというよりは特撮的想像力かな。途中で出てきた言葉って「ウルトラマン」の宇宙語パロディ?
これら機械帝国+右姫のルートが一まとめになっている。もう一つがナージャ+プロキシマのルートだ。
こちらのシナリオでは、魔物娘に対して人間の本質と実存が語られる。慎一に秘められた力・人間の本質を「嘘」であるとしたところは面白い(エンディングによってその仮説自体が真になったり偽になったりするところも)。人間を語る前口上として魔物娘を配置していたようにすら見え、こういう形で「魔物娘ならでは」を達成するという試みは評価したい。ちなみにナージャ・プロキシマも実存系魔物娘だった。本質は娘(女の子)の部分にあるようだ。
僕の問題意識は魔物のことばかりに集中していて人間を捉えていなかった節があった。ナージャ・プロキシマルートではその片手落ちを上手くフォローしてもらえたように思う。分岐を複数用意してバッド色が濃いエンドで補足説明するという形式を取っているから、全エンド見ておいた方がわかりよいね。
他に左姫ルートや真由子ルート、ハーレムルートなどもある。真由子のエンドで「怪物」を後天的なものとして捉えている点以外は特に言うことがない。全エンド見ることで開放される「むかしむかしのやくそく」はこの物語が徹頭徹尾ハーレムラブコメであることを示している。だからなおさら性悪だ。

7 結

FD買う予定は今のところないけど、魔物/怪物/人間理解の一形態として興味深くプレイすることができた。自分の魔物観にもより一層磨きをかけ、来るべき魔物娘ゲーに備えたい。まずはVanadisの「聖もんむす学園」で萌え萌えしてえな……
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*1:いや、向こうにその気はないのかもしれないが。

*2:二万字座談会「SFメディアとしてのビジュアルノベル」(KUSFA「Pilot Edition for Workbook 96」所収)

*3:「日本語大辞典」より

*4:このテキストを書いたあと、本質が魔的なヒロインが見たいのであればクトゥルフ擬人化ものをあたればよいのではないか説が浮上した。

ゲーム「りとる†びっち」 感想

そんなわけで。エレクトリップAVG「りとる†びっち」をプレイした(4ヶ月くらい前に)。
織澤あきふみ画の少女に萌えながら虐められ深みにはまっていくゲーム。さすがに全24チャプターを満喫できるほど僕はMではなかった(電撃攻めとか辛いです)けど、小さい子からひどい目に合わされるという被虐感はよかった。
副題からもわかるように、このゲームの「おにいちゃん」は(萌え)豚なんだけど、選択肢押した時のSEが豚の鳴き声を意味しているということはなかなか分からなかったな。
エレナとえりか、水神楓さんの二役はそうと言われなければ気付かないほど上手だった。
このゲームの語り口はかなり特殊なのだが、その点について先行レビューではvostokさんのものが参考になった。

台詞及び地の文の仕組みをもう少し見てみると、HAINさんの文体的な傾向の中で作品を追うごとに強まりつつあるような気がする、実況文と擬態語の多用が特に目立つ。ロリヒロインが攻めるMゲーだからということもあるのだろう(そして苦手な文体なのに慣らされる自分)。この多用によりヒロインの台詞は口語からは程遠いものになっていて、語彙的にもロリヒロイン、というかそもそも女の子が口にするにはあまりに不自然なものになっている。これは女の子に下品な台詞を言わせて解放感と羞恥心からプレイヤーも快感を得るというような通常の回路というよりは、ヒロインの台詞がヒロイン以外の「語り手」(この作品にはいないはずだが)に侵食されていると見たほうが適切な気がする。また、2人のヒロインが外見的には左右を反転して色違いにしただけのそっくりさんであるということも、ヒロインの「人間らしさ」を損なっている。

2011-12-27 - オネミリエ Onemir’e Mnogotsvetnoe

僕は同ライターの作品を「まりくり」くらいしか触れていないので、作家性のようなものに踏み込んだ話はできない。確かに言えるのは、りとる†びっちなる語り手のテキストには白々しさしかないということ。
だから、視点人物を通して心底屈服したという気持ちを得る、といった用途には不向きだ*1
落とし所もクロウさんらしい。いつものこういう感じ。

 お客様は、精液ぴゅっぴゅっするしか脳のない変態さんですね
 ですが、お客様は神様です
 お買い上げ、ありがとうございました

えびさんの「りとる†びっち 〜Little Bitch Girls in Hog Farm〜」の感想

体にも心にも散々惨いことをしてきた彼女たちが、最後の最後にくれるものが言葉であるというところがなんとも。言葉以上のものはないとも言えるし、所詮言葉でしかないとも言えて。
りとる†びっち 〜Little Bitch Girls in Hog Farm〜
りとる†びっち 〜Little Bitch Girls in Hog Farm〜[アダルト]
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*1:"主人公視点がないことで薄れてしまった精神的な屈服感をヒロイン視点の言葉責めではカバーしきれていない" komaichiさんの「りとる†びっち 〜Little Bitch Girls in Hog Farm〜」の感想 http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=16224&uid=komaichi

ゲーム「神聖にして侵すべからず」 レビュー

そんなわけで。PULLTOPAVG神聖にして侵すべからず」を終えた。
とても雰囲気がよい作品で、全編通して非常に満足している。マイ・フェイバリット夏ゲーの一つになったよ。PULLTOP作品は初めてだったけれど、10周年記念作品だけあって総合力が高く、それこそ王侯貴族のようにもてなしてもらった気分で嬉しく思う。

所感

世間で言うところのシナリオゲーと萌えゲーの間を縫った作風はPULLTOP・朝妻ユタカ・丸谷秀人ラインの特徴であるようだ。
丸谷秀人氏については、紅茶の人@atslave)著「「ガラスみたいに透明で フィルムみたいに泳いでる」〜私論・丸谷秀人〜」(theoria「恋愛ゲーム総合論集2」所収)に詳しい。ルート別の感想を記す前に、この論考の中から本作について書かれた文章を引いておこう。以下は、十睡みちたか氏によるものと推測される希ルート以外の瑠波・澪里・操ルートについての記述である。

 どのルートもお話自体は間違いなくハッピーエンドだ。しかし、そこにたどり着くまでの道筋はけして綺麗事ばかりではないし、良い人もただ良いだけの人ではなく、また悪いだけの人もいない。顔の無いサブキャラを大量に駆使して風景を構築するのは氏の得意とするところだが、本作においてもゆのはな町のように、分校のように、しろくま町のように――猫庭の住人は太郎丸をも含めて全員がいきいきと動きまわっている。主人公とヒロインはお話の中心に確かに居るのだが、それでいて主役は彼らではなくむしろ彼らをとりまく世界そのもの――そういう印象すら受ける。
 そして、主人公とヒロインが反復と変奏のなかで関係を深めていく内に、彼らをとりまく世界も少しづつ変わってゆき、その変奏の一部となっていく。あるいは、変わらないことによって逆に二人の関係性の変化を際立たせる。
 前者は瑠波ルートや澪里ルートであり、後者は操ルートである――本作においてはそう言うことも可能だろう。
(前掲書)

このような作品把握に同意する。希ルートも加えた本編4ルートを通して、「敵は見えず、悪意は遠い世界で、それでもありふれて悩み苦しむ僕たちは、どうすれば前へ・高みへと進むことができるか」という問題意識を僕は読み取った。詳しくは各ルートで詳述しよう。
仁之丞氏が描く女の子たちは、立ち絵ではくっきりと麗しく、一枚絵では淡く柔らかに彩られ、瞳なんかは美しいゼリーのような質感があって惹きつけられる。
プレイしていて印象的だったのは、作中に生きる女の子たちの「かわいさ」がこれまで触れてきたどのゲームのそれとも違う、ということだ。どこがどう、と具体例を上げて言えないのが歯がゆいが、女の子というのはこういった時にかわいいのだな、と新たに気付かせてもらえた気がする。このブランドラインはおそらく、どのような瞬間(モーメント)、あるいは連続性(シークエンス)において女の子がかわいく見えるか、それをどのように捉え、切り取ってみせるか、という業を独自に磨き続けてきたんだと思う。
音楽ではタイトル画面曲「女王陛下の名の下に」やOPアレンジである「ノブレス・オブリージュ」、他に「わたしの生まれた日」「なんかおもしろいことやろう!」「ぼくたちの、明日」「彼女の王国」などが気に入った。OP曲「Anthem for Kingdom」・ED曲「夏の足あと」も好き。

澪里

初回プレイ時はごく自然に澪里ルートへ入ってた。正直ないい子だね。そして気高い人だった。

【澪里】「結局ね。私はこの歳になるまで、何にもしていなかったの」
【澪里】「友達も、今の仕事も、向こうから手を差し伸べてくれたからで私から何か掴んだ事は無いの」
【澪里】「だから、私、変わりたい。自分を変えるしか無い。そう思う。何としても変えるんだって」
(第6話『うそつくのに慣れないで』)

最初は他人に対して後手後手になるあまり「ぼっち」だった澪里が*1、だんだんと自分がこうしたい、と言えるようになっていく。澪里の内的なエネルギーには感じ入るところがあった。
7話、夏の空気感を心地よく感じながら、澪里とメールしたり電話したりするやりとりが好き。澪里の無防備さがやばい。
9話、正直このゲームで性的興奮しなかったしこれからすることもないだろう、と思ってたけど見込み違いだった。睦み合っている隼人と澪里のはしたなさったらない。「抱っこ」とか完全に頭おかしい。
11話。総じてこのゲームでは様式や儀式が強調される。隼人と澪里もまた、高い切符を買って電車に乗って遠くへ向かうという一式の行動をもって互いの心を確かめていく。隼人自身が言ってたとおり、彼はけっこう綱渡りをしていた。澪里にあそこまでやった後に初めて自分と澪里の似ているところを知る、ということは一歩間違えれば手遅れだったかもしれなくて。けれど、互いに心を手繰る手つきが丁寧で、僕は彼らに好感を持つ。
はっきりと言葉にされずとも、隼人と澪里が「高み」や「志(の高さ)」といったものについて語っていることは明白だろう。にも関わらず、話し合っている彼らの運動は横方向なんだよね、電車に乗ってるわけだから。高低の概念は巧妙にフェードアウトしている。車内の均衡が崩れる前に、富士山らしき山を既に通過したという描写があったことなんかも示唆的ではないかなあ。そして、「立ち上がった」末にバランスを崩して覆いかぶさってきた彼女を「見上げる」構図になるわけだ。しかして帰り道に現出するのが遥か上方に煌く「星空のパレード」であるという、このロマンティックが素晴らしい。
人は迷い歩きながらも、星があるから空を見上げることを志すのだろうか。それとも、強い意志をもって空を見上げた者への褒賞として星があるのだろうか。最初は前者だと思っていたけれど、もう一度読み返したら後者にも思えてきてわからなくなってしまった。
確かなものは、実の父ですら乗り越えるべき敵足りえない、そんな悪意なき世界でそれでも高みを目指す澪里の強さ。彼女の意志はこの上なく尊い

【操】「highcampusさんのために『ローマ調 ピーマンのフリーズドライナン(汗)』を作ってみたよ!」

操のおなかすいったー

いや、できれば『完食困難』をお願いします。
操は、おひさまのようで素敵な女の子だ。彼女とゆったり、夏の空気に揺蕩う日々はたいへん快かった。おひさまのために何かしてあげたい、と思う隼人にも共感してしまう。
このルートは瑠波ルートと対になっていて、王国の在り方について一つの見解を示している。中心となるのは隼人・操・瑠波の三人で、お話の途中では瑠波の強情な一面が見られる(そういったところもかわいい)。

【芳乃】「操ちゃんがいるとね、あんた達、年相応にみえてホッとするのよ。まぁ、それはあたしのエゴなんだけどね」
[…]
【芳乃】「背伸びしてる人間が、背伸びしてるのを自覚していないのはイタタタタってこと」
(第6話『お弁当は青空の下で』)

芳乃はそんな風に言う。操は隼人を指してこう告げる。

【操】「なんていうかな……手が届くところで、世界が収まっている感じ……」
(第8話『唐揚げだけじゃたりない』)

統合すると「手が届くところで背伸びして」小さな世界を支え続ける隼人(と瑠波)の姿が浮かび上がってくる。
そこへ操がコミットすることで世界がどのように変化するか/変化しないか、というところを見ていこう。
彼らの変化は優しくたおやかだ。

【操】「だねー。こうなったらどんな風に変わっていくのかを、一緒にわくわくどきどき楽しもうよ」
(第9話『ハチミツより甘く』)

そして、操のこうした態度自体が既に変化の兆しである。何故なら彼女は最初、隼人や瑠波との関係が変化することを恐れていたからだ。

【操】「きっとこわくなっちゃう時もあるけど、でもかわっていくのを怖がらないことにしたの。なにがあっても、だいじょうぶだから。ね」
(第9話『ハチミツより甘く』)

引用しながら改めて思うけど、操の台詞はひらがな多めで和む。操が瑠波との成り行きを隼人に託した時の「ライ麦パンの運命」という言い回しが好きだ。
さて、王国以外の全て、三人の楽園さえも捨てようという心づもりの瑠波に対して、隼人と操はそのような変化などありえないし望まないということを身をもって証立てる。

薫や国友や他の友達がいて、町の人達もいる。みんながいる。誰よりも操が僕のとなりにいてくれる。
【隼人】「そうか……」
そして、そのみんなの中には、当然瑠波もいるはずだ。
瑠波はひとりになんかなれない。なれるはずがない。
僕らがそんなことはさせない。
(第10話『ライ麦パンの気持ち』)

隼人はその道を"選んだ"が、操は"選んだ等と云う自覚は無"くそうしていた。心のままに行ったことで人を救える、なんていい子なんだろう。ついには、自らファルケンスレーベン国民となる旨を宣言し、これからの王国を変化させていく最初の一人となる。
操が瑠波や隼人に示したものは、人(国民)から始まる王国である。王国はありやなしや、それはわからない。しかし少なくとも王国を望む人間はここにこうして存在する。なら、そこから始めようというロジック。観念的な瑠波ルートに対して実体的な操ルートと位置づけられる。
"王国の夜明けをもたらすおひさま"としての超越性を持ちながら、"パン屋の娘"樫村操という一人の人間として新しい王国を始めていく。彼女が持つとてつもないポテンシャルにはただただ圧倒されるばかりだった。
そして、隼人の夢を肯定する操の笑顔ときたらもう。彼女の善性からくるものの見方は好ましくて、側に立って同じ風景を観たいと思う。本当に、どれだけ澄んだ瞳なら未来をあんなふうに見つめることができるんだろうね。

虫愛づる姫君。恋愛に関しては、希の攻撃力が高すぎてこちらはサンドバック状態だった。ヒロインズの中でも一番恥ずかしい台詞が多いんじゃないか。

【希】「……カブトさん、困りました」
突然、そんなことを言い出した。
【隼人】「困った?」
【希】「ちょっと考えてみたんですけど、どんなお友達より、カブトさんの方がいいんです」
(第9話『繭の見る夢』)

思案の末に困り顔でそんなこと言われたら即KOだよ。

【希】「数日間考えましたが、あなたのことが好きだという結論に達しました」
その日、突然来てもいいかと電話をしてきた希は、了解してから30分後、やって来るなりそう言った。
【隼人】「…………」
【希】「カブトさんは、いかがでしょうか?」
【隼人】「否定できない」
【希】「何を?」
【隼人】「今、そう言われて、嬉しいという気持ちを。だから間違いなく、僕も君のことが好きだ」
【希】「それでは……」
周囲を見回し、希が声を潜めた。
【希】「わたしたちは、相思相愛の仲なのですね?」
【隼人】「おそらく。……恋人同士になったんだと思う」
(第9話『繭の見る夢』)

手探りで一つ一つ形式的に恋情を確かにしていくこのカップルが僕は好き過ぎる。あと「夏ですよ!!」は今年の夏が来たら使おうと思う。
シナリオは、進行するにつれ新しい読み筋が現れては次々に脱臼していくのでそういう意味では読みにくい。アシダカさん→重要な存在だが終盤まであまり出番がない、響子さん→敵役になるかと思ったらNTRに目覚めて脱落、小太郎→隼人に希のことをお願いするも強くは干渉してこない、しゃべる野菜たち→一度きりの登場……などなど。この人物/キーワードを手がかりに読んでいけばいいのかな、という思い込みはことごとく裏切られる。気をつけないと「結局どういう話だったんだ」という感想を抱いてしまいそうだ。
これは希の物語だから、周辺を見るのではなく希そのものを見てあげよう。そうすれば、彼女の世界がきっとプレイヤーにも理解できるはずだ。
僕はと言えば、希が観る世界の変容にいたく感動した。リファレンスとしては「猫撫ディストーション」。というか「猫撫」を経由していたからこそ僕はこの話に馴染めたのではないか。ほら、「猫撫」と「猫庭」で猫つながりだし(そういうことではない)。僕が特に関心を寄せたのは、希が備えていた"観察者"という性質。そして「言葉」による他者と世界の読み替えだ。
友人に虫の名を授けるという試みは、他者を観察し自己内他者として取り込む希の心の動きを端的に表している。隼人は希にとっての他者である「諫見隼人」という名を封印し、自己内他者である「カブトさん」という名を拝受する。
この時舞台は希の世界=実蒔家の庭であるということにも留意しておこう。希の世界においては人と虫とは限りなく別け隔てない存在だ。
「虫も殺さぬ」「一寸の虫にも五分の魂」なんて僕たちは言うけれど、「も」という助詞から分かる通り、それらの言葉は前提として人と虫とを区別し、人の方がより高い価値を持つという認識を含んでいる。しかし、希の世界にはそうした前提はなかった。希は虫を殺さないが、それは例えば虫たちが人間よりも小さくか弱い存在だからではない。

【響子】「気付いていないのはあなたの方ですよ、諫見隼人様。お嬢様は虫にも人にも同じように接します」
【響子】「逆に言えばあのお方の中で、虫と人との境界線は非常に曖昧になっていると言うことです」
【隼人】「……例えそうであったとしても、希は好んで虫を傷つけたりはしません」
【響子】「しかし、助けることもしない。そうではありませんか?」
【隼人】「……」
【響子】「お嬢様は生まれついての観察者なのです。冷徹な目を持った、冷たい冷たい観察者。そこに、私は反応したのです」
【隼人】「ひょっとしたらそんな時期もあったかもしれません」
ハッキリした声で、僕は言った。心を強く持て、隼人。でないと響子さんに呑み込まれそうだ。
【隼人】「だけど今は違う。希は何故観察しているのかを考え始めました。ただの観察者でいることから、踏み出したのです」
【響子】「……そう。あなたが変えてしまった」
(第11話『見えない未来と温もりと』)

隼人と交わることで希の言葉=認識は変わっていく。「カブトさん」という自己内他者から「隼人さん」という他者へ。同時に、「カイコ」という自己内自己(セルフイメージ)から「クワゴ」、そして「実蒔希」という自己へ。こうして、隼人と希は真に恋人となった。
一方で、隼人も希から影響を受け農業を志すわけだが、その際に野菜という自己内他者を生み出し、彼らの言葉を意識している。

【希】「おなじ生き物同士、意思が通じ合えないなんてことは、絶対にないんです」
[…]
野菜の色やツヤ、あるいは成長の促進具合……物言わぬ彼らの、それを『言葉』として僕は学ぼう。
(第9話『繭の見る夢』)

希にとっての虫ほどには焦点が当たらないため、隼人にとっての野菜をどのように取り扱えばいいのか迷うところもある。"物言わぬ"としつつ野菜が人語でしゃべる場面があったりして(トマトたちから王国に留まるよう引き止められるシーンはかなり怖い)、いまいち固まってない感じがするんだよね。結局隼人が野菜の言葉というコードを最後まで保持したのかどうかも読み取れなかったし。
視点を希に戻そう。最終的に、希は神聖にして侵すべからざる彼女の世界から彼女が観た外の世界への越境性を持つに至る。しかし、他者を獲得した希は、自己内他者を決定的に喪失してしまう。エピローグで情感を伴って描かれるのは、希と彼女の自己内他者たるアシダカさんの別離である。
希はアシダカさんの声が聞こえなくなってしまったという。虫と通わせる言葉を失ったということ、これこそが響子が指摘した希の最たる変化である。虫は言葉を持たず、人と分かたれる。彼女が観たのはそんな世界だ。
けれど、それは決して冷厳な世界ではない。たとえ言葉を失くしても、他者となったアシダカグモにだってきっと意思はあるのだから。希が告げた「さよなら」と「ありがとう」には、一縷の空しさもなかった。

瑠波

小首を傾げた立ち姿がかわいい瑠波。彼女にまつわるお話は、まさに王たる者の物語だった。つまり、――

人は誰しも、人生の王様

ご挨拶 | PULLTOPブログ

――僕たちの物語でもある。彼女が再興したのは、(操ルートの実体的なそれに対して)観念からなる王国だった。
瑠波ルートについては、以下のエントリが参考になったので紹介する。
人生の孤独と「神聖にして侵すべからず」 - Vacant Lot

「我は猫庭の女王であるからな」
瑠波のシナリオのテーマは「王権の探索」。
女王を名乗りながらも、瑠波の手に王権はなく、それにもかかわらず女王として振る舞わなければならない。それが瑠波の抱える苦しみだった。
実は瑠波の手には王権はある。ただしそれは瑠波と隼人の二人だけの、もうひとつの王国のものなのだ。この王国の二重性こそが瑠波を苦しめていたのだけれど、瑠波が実際に王国を終わらせようとするまで、表に現れることはなかった。
「そして我は、女王では無い」
[…]
そして瑠波は最後に王権を見つけだす。それは彼女が隼人と二人でやってきた「茶番」そのものだったのだ。二人きりの王国は、小さくとも、確かな王国だった。だからこそ瑠波は王権を手にできた。それに実体はないけれど、それでも人と人とを繋ぐことは出来る。そうして何も出来ない子供だった二人は繋がったのだから。

人生の孤独と「神聖にして侵すべからず」 - Vacant Lot

もう僕が付け加えて書くことないよねこれ……。「王権の探索」「王国の二重性」といったキーワードには頷くばかりだ。toiroさんにこの文章を書かせるに至ったサークルNH3の「ぼくらのあいした江古田」も一度読んでみたい。隼人の糾弾については原文に触れるまではとりあえずスルーで。
王は孤独な存在であり、人は"虫や動物のように独りで生きられない"(希、瑠波ルート第6話『女王陛下は雨模様』)。人が誰しも人生の王様であるのなら、果たしてその生は孤独であるのだろうか……とか考え始めるとすごく重たい気分になる。
しかし、厳然として王国は今まさに、そこに/ここにある。物語を僕たちの手に明け渡してくれた、という点でこのルートはいい総括であったし、最後にプレイしてよかったと思えた。

総評

本作はおそらく、フラットな人間にはリーチしえない。心底困っているわけではないし、かといって他人に力を貸すほどの余裕もないような人々には。

という意見もある。まあだから例えば希ルートとかわかんない人はわかんないままでいいと思うんだよね。理解できない方がある意味幸せだよ。
それでも、敵は見えず、悪意は遠い世界で、ありふれて悩み苦しむ僕たちにとって、この物語は救いとなる。
惚れたのは澪里の気高さ、操にはただ感服するばかり、語り甲斐があるのは希の世界、瑠波にはかける言葉もない。
星空を見上げよう。おひさまに手をかざそう。共に生きる者の言葉に耳を傾けよう。生まれ持った王権を誇りとして。
神聖にして侵すべからず」、ちっぽけな戴冠式は終わった。

余談

生徒会長:青山ゆかりさんの声が本当に気持ち悪くて、これは最高のキャスティングだと言っていい。他者性(自分とは違う人間であるという異質な感覚)溢れすぎでしょう。瑠波ルートでは人間らしい一面が見られて嬉しいような悲しいような……
作中に出てくる食べ物はなにかと細かく描写されていて感心する。ざっとしたレシピを書いてある料理もあるから真似して作ってみたくなる。「まじこい(S)」「まほよ」なども含め、食事が美味しそうな作品は名作だという法則が僕の中にできあがりつつある。
神聖にして侵すべからず[アダルト]
神聖にして侵すべからず [アダルト]

*1:あまりに居た堪れなくてWebサイトのミニゲームもクリアしたよ!

ゲーム「アトラク=ナクア」 感想

1

そんなわけで。アリスソフトの「アトラク=ナクア」Ver 1.10をプレイした。
集中してやったところ、一日で終わった。話の筋はだいたいプレイ前に予想してた・他人の口ぶりから察していた通り、王道も王道だった。今にして新鮮なフラグシステム(一周目以降は各章開始前にキャラクターごとのフラグを調整できる)や音楽(皆が「Going on」を褒めるわけがようやくわかった)、テキストといった各要素も楽しむことができ、満足している。
「アトラク=ナクア幻想曲」なるものの存在も知ったので、そのうちCDを探してみようかと思う。

2

先行レビューをいくつか参照しよう。
アトラク・ナクア
参加者:やまうちさん・今木さん・DALさん・ソガさん。半分くらいは漫画と絡めた話になっていて、僕は高河ゆんとか読んでないからそのへんはよくわからない。
僕の観測範囲ではこのゲームの既プレイ者は「初音姉様」について語ることが多く、奏子にはあまり触れられない(ように見える)。以下は貴重な奏子語りの一つだ。

 違和感のこと。
 かなこ。最初に男どもに陵辱されつつ「殺してやる」とずっと思ってる。このへんからして驚きます。というかむしろ、「殺してやる」と思ってるくせに、黙って陵辱されっぱなしで、何もなきゃきっと今後もそうなんだろうな。思ってるだけ。自分の思いの現実性なんて考えもしない。えらく主観的。現実的な手段を考えるでなくいきなり「殺してやる」と来る。できるかボケ。
 もうひとつ、アトラクを男が書いてるなら(あるいは、女でも栗本薫高屋奈月あたりなら)、かなこは多分、あのとき、本性(蜘蛛の化物)をあらわした姉様を見るや、嫌悪と拒絶をあらわにするはずなんです。少なくとも、内心の恐怖と嫌悪と、姉様への思いと、そのへん葛藤があるはずなんです。葛藤を乗り越えるあたりで感動を演出、とか、やらなきゃ損ってもんです。現にフルバはそうやってる。ところが、かなこにはそれがない。姉様は姉様であり、どんな姿であろうと知ったこっちゃない。客観的に見て蜘蛛の化物である、という事実は、はなっから考慮されない。
 かなこ萌えって言いたかっただけです。本田透はともかく、かなこは間違いなく化け物だと思います。

今木さんが書いているように、奏子には葛藤がない。僕も作中の当該部分でシームレスに初音に触れる奏子を見てこの娘やばいと思った。あと、ソガさんの"僕はかなこだ!(ばーん)"でお茶吹いた。
続いて、しのぶさんの感想。

 この物語の人物たちの立場には、善も悪も、正も誤もない。ただ、愚かな人間〜その愚かさゆえに愛すべき人間〜をひたすら赤裸々に描写して、それが結果として美しい光を放つようになった作品。
 初音や銀は、人間の到底及ばない生命力と強さを持っている存在であるにも関わらず、この物語においては自分の生をどう扱ってよいか知らない“途方に暮れた者”である。奏子は無力な高校生に過ぎないが、彼女の一途な想いは、この途方に暮れた孤独な者たちに弄ばれる世界の中でひきとわ美しく輝く。初音は、奏子の腕の中で死んでいく。自分より遥かにちっぽけな存在であるはずの奏子に、初音は最後に救われることになる。この光と闇との対照の妙。

アトラク=ナクア - 2000/4/17(月) diary 魔法の笛と銀のすず

初音の言葉を引けば、"途方に暮れた者"の生には三つの終わり方がある。

「命か…心か……時の……尽きるまで……」
(「終章」より)

この台詞は奏子に向けられたものであり、終章の奏子が"途方に暮れた者"であるかどうかは検討の余地があると思うがひとまず措く。本編で描かれるのは「命」あるいは「心」の終わりであり、もし「時」の終わりもマルチエンディングの一つとして加わっていれば構成としてよりよいものになっていた可能性もあるが、どうだろう。
「時」については、tukinohaさんが言う"時間的な外部"とも関わる話かな。

非常にもやもやした気分にさせられる作品です。この空間的な「外部性のなさ」から脱出するためには時間的な外部が必要で、その意味では後日談が書かれたのも必然だったと言えるのかもしれません(と言いつつ後日談は読んでないのですが)。

『アトラク=ナクア』についての雑感 - tukinohaの絶対ブログ領域

僕も後日談そのものは読んでいないけれど、アトラク=ナクアとは - ニコニコ大百科であらすじを確認して嘆息した。いつか読んでみたくはある。
余談。

世界観というか、雰囲気というか、 非常に「うしおととら」なにおいがします。

アトラク=ナクア 神聖はるさめ王国

なんとなくわかる。銀あたりがそう思わせるのかな。

3

さて、本編をプレイした際に僕が最も興味深く観ていたのは「銀-初音」と「初音-奏子」という二つの関係の相似性だった。目の前にいる誰かの中に過ぎ去った誰かの似姿を見つけてしまう人たちのお話といえば枕の「H2O」だが、基本的にはあれと同じ観点からの関心だ。
その点を詳述し、僕が気付かなかったところまで言語化してくれているのがルイさん(と海燕さんのやりとり)だった。
ルイ(@rui178)/2011年09月13日 - Twilog

【アトラク=ナクア】は例えが悪いけど虐待を受けた者が虐待に走るといった「環境による流れ」が見える所がたまらなく好き。初音は妹キャラだからこそ姉「様」になりたかったのだと思う。彼女がSかMかを語るだけでご飯三倍は余裕。

https://twitter.com/#!/rui178/status/113398611789889536

@rui178 初音は特に名を秘す某男性に対している時と、奏子に対している時とではキャラクターの性質が異なりますよね。たぶんそこが好きなんだと思うのです。

https://twitter.com/#!/kaien/status/113398214769643520

@kaien そこに線を繋ぐ事で彼女の内面にある欲求のようなものが形作られて来る部分がありますよね。最終章では、彼女が「姉性」(聖性的な用法w)を死守した所に感動しました。ジェンダー論者というわけでもないのだけれど、彼女が男にとっての女、としての具から解き放たれた意味合いで。

https://twitter.com/#!/rui178/status/113399502332887042

【アトラク=ナクア】の魅力を短く纏めると「姉だと思ったら兄にとっての妹だったが、末妹にとっての姉という立場を守り抜いた」という事になるか←若草姉妹か何か?

https://twitter.com/#!/rui178/status/113402909974216704

【アトラク=ナクア】補足。物語を追えば初音のカードの表裏(姉妹)、その初期状態は明らか。それが生来の資質だったとして、今色々な文脈で彼女が語られる時、その殆どは「初音“姉様”」として語られる。その事こそが初音の得た・守った物の証であるし、彼女が環境論や本質論に打ち克った証。傑作。

https://twitter.com/#!/rui178/status/113404534721740802

作中に引用された方丈記の序文を持ち出すまでもなく、相似は相似であって合同ではない。「初音-奏子」が「銀-初音」を超えて単なる似姿以上のものになったこと、初音がその命尽きるまで/その命尽きてなお「姉様」として自身をアイデンティファイしたこと、そして奏子が「姉様」の命を継承したこと、全てを讃えたい。
アトラク=ナクア 廉価版[アダルト]
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アリスボーカルコレクション
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