ゲーム「雫」 感想

そんなわけで。Leaf Visual Novel Series Vol.1「雫」をプレイしたので感想を書くよ。
今回プレイしたのは「痕」2009年版初回特典Origin(オリジナル16色)版。*1 *2総プレイ時間は約6時間くらいかな。しばらくぶりにボイス無しのゲームをやったんだけど、やっぱりテキストを読み進めるスピードがフルボイスゲーとはダンチだね。脳内ボイスをあてる楽しみもあるし、声はなければないで全然構わない。
「雫」に関する前知識は「美少女ゲームの臨界点」「同+1」などで読んだ程度のものしかなかったけど、本作との類似性を指摘されている大槻ケンヂ新興宗教オモイデ教」を昨年のうちに読んでおいたので、両作に共通する部分を見つけて面白がったりしていた。冒頭で主人公が妄想の世界に耽るテキストなんかは特に似ているし、毒電波的なガジェットや作品から受けるほろ苦い印象も近しい。

所感

もう少し外縁的な話を続ける。僕はゲームエンジンにおけるVNスタイルが好きで、特に写真をグレースケールにして色をつけたような背景画像には味わい深さを覚える。背景の色調は記憶に残りやすく、昼日中の青や夕暮れの赤、夜の藍などはこうして文章を書いている時でも瞼を閉じればすぐに思い出すことができる。

夕焼け最強。
沙耶の唄」のそれはどう頑張っても理屈でしかないわけで、ちょっと比較にならないです。世界を侵すってのはここまできて説得力を持ちます。ディスプレイいっぱいに広がる赤。赤の世界の支配者は瑠璃子さん。前回、ボードの都合でちっさいウィンドウでプレイしたのとは比べ物にならない圧力。ただ、この強さは言っちまえば白黒映画の強さだから、やたらと画が細かくないと客を集められない(といっても最近のキャラデザはシンプル萌え系に揺り返してるけど)現在、そのまま使える手法じゃない。沙耶はまぁ頑張ってくれてる。ちなみに主人公の見える世界が他の人と違うってのを背景で表現してる系譜にはもちろん「月姫」があります。こっちは白黒映画的な強さの下ではありますが。
 雫>月姫>沙耶なんてのはわりと判りやすい系譜なんではないかと。

さるさる日記 - 都度雑記

背景の妙と言えば、沙織と話している時の学校の廊下はよくある直線的なそれではなく、奥に向かって緩やかにカーブしていて、その先の見えなさが怖かったりした。
立ち絵は総プレイ時間に比して多めなので、見方によってはものすごく贅沢な使い方をしているようにも思える。特に沙織は会話中にころころと表情を変えるので眺めていて楽しい。
音楽では「叔父さん」「瑞穂」「瑠璃子」「Hシーン1」「ハッピーエンド」「オルゴール2」あたりが好み。下川直哉折戸伸治と相性がいいんだろうか。
あと、オートモードがないため、ゲーム全編を通してクリック進行することになるんだけど、これも久しぶりのことだったので能動的にゲームをやってる実感がしてよかった。

沙織

最初にプレイしたのが沙織ルートだった。オープニングだとすごく暗い影がある人に見えたんだけど、序盤に祐介と出会った時には全くそんなことを思わせなかったので「あれ?」と首を傾げた。と思ったら中盤でまた別の一面を見せたり、でも終盤で決めるところは決めたりと本当に多彩なキャラだった。ストレートな意味でのかわいさ、ということであれば作中最強であろう。
先にハッピーエンドを終わらせてしまい、その後にバッドエンドをやると後味が悪いというエロゲあるあるを経験してしまった。ハッピーエンドにおいて、「瑠璃子さん」でなく「瑠璃子さんたち」を気にかけるところに、祐介の優しさのようなものが感じられる。最後の指切りが切ない。夕日に照らされた沙織が微笑むCGはこのゲームの中で2番目に気に入っている。

瑞穂

仰げば尊し(卒業式)エンドなどを踏みつつ瑞穂ルートへ。ここで、本作における「雫」という言葉がルートごとに違った意味を持つことを知る。一つの言葉をいくつもの物語によって形作っていく、という感覚がよい。
若輩の僕は90年代末のleaf同人界隈の盛り上がりをリアルタイムで知らないけれど、なんとなく太田さんって瑞穂を食ってしまう勢いで二次創作されそうだと感じた。ビジュアルのインパクトもあるし、最初から汚れ役みたいなものだから話の中で動かしやすそうだしね。*3

璃子

璃子さん。僕は「美少女ゲームの臨界点」における原田宇陀児さんのインタビューなんかを読んで内面化しちゃってる節があり、ゲーム開始時点で「一人の人間をあれだけ偏執狂的にしてしまうくらい、瑠璃子というヒロインはすごいに違いない」という思い込みを抱いて彼女を見ていたことは否定できない。しかし、それにしたって彼女は素晴らしい。
以前、Twitterにこんなことを書いた。

璃子さんもどちらかというと後者だよね、という話。
「雫」において瑠璃子さんが抱え持つ過去やトラウマといったものは、聞きかじった言葉で言うと探偵小説的に解明されていく謎である。そうした謎のヴェールが彼女をより一層美しくしていることは確かだろう。
けれど、たとえそのヴェールを脱ぎ去っても、瑠璃子さんはなお神秘的であり、底が見えない。少女の形をとりながら、そんな計り知れないスケールを内包した彼女には、ただただ圧倒されるばかりだった。
璃子さんはなんといってもその目、視線を抜きにして語れない。プレイしながら、そんな目で僕を見ないで欲しい/僕を見て欲しい、という相反する気持ちを何度も同時に感じていた。彼女に見つめられる度に胸が詰まって泣きそうになるのは、透徹した視線がこちらの心へ余すところなく注がれたような気がするからだろうか。
璃子さんの瞳があまりにも澄んでいて、吸い込まれてしまいそうだった。テキストでは"月夜の湖のような目"という表現がされているんだけど、これは太田さんにも"月夜の暗い湖のような目"という同じ言い回しが使われている。「壊れた」者の目はこうあるということであって、瑠璃子さんに特有のものではないんだけれど、少なくとも彼女の瞳だけは祐介を透かすように見つめていたように思う。見透かされる悦び。基本的にプレイヤーが好き勝手な視線を投げかけるメディアであるエロゲにおいて、これだけ静かに強烈に「見つめられる」という体験はそうそうできるものじゃない。
満月を背に膝枕で見下ろされたら、テキストを送ることも忘れて見つめ合ってしまう。先ほど引用したDAL氏によれば、「見下ろす」というよりは「見下す」という言葉の方が近いようであるが、このシーンは前の場面で彼女を見下ろしている(イベントCGがある)点が対比的であるよな。
もちろん、瑠璃子さんの「長瀬ちゃん」という呼び方は大好きだ。「長瀬ちゃん」「瑠璃子さん」と呼び合う二人の関係性がたまらない。ほんと、祐介と瑠璃子さんとの距離感に関しては神がかってると言っていい。
璃子さんとの対話が上手くいかなかった時、彼女の顔が本当に辛そうで、思わず「ごめんよお」と謝りたくなってしまう。
もうね、瑠璃子さんとおんなじになりたいし、おんなじであるってことが素敵だし、おんなじだねって言われることが嬉しくてしかたない。
異質なものに憧れて、「狂気の扉」を開けてしまった瑠璃子さんと限りなく同質になろう、近づいていこうという意志とか。体だけでなく(不意打ちで「だいしゅきホールド」されて死ぬかと思った)電波を通して心まで交感することとか。そうしたものを積み上げた末の達成として彼女と同じ存在に到達する、ってわけじゃないんだよね。

「私、長瀬ちゃんのこと好きだよ。だって、私たち、…おんなじだから」
「…同じって、電波を使えることがだろ?」
「ううん、違うよ。…もっと、もっと、なにもかもがおんなじだから。心の中でいつも泣いているとこも、世界から消えちゃいそうなとこも、誰かに助けを求めているとこも…私とおんなじだから…」

殺し文句すぎる。彼女と同じに「なる」のではなく、ただ彼女と同じであることを彼女の言葉によって「知る」だけでいい。それは遠回りした故に生まれた感傷かもしれないけれど、最初から同じであったということが僕にはひどく素敵に思える。
そして、限りなく同質な存在であっても、僕にとって彼女は愛すべき異質な他者であって。ハッピーエンドで瑠璃子さんが屋上に現れた時、僕は心からの畏敬を捧げた。「ああ、この人にはかなわないな」、と。「雫」はいつも唐突で、生み出す波紋はいつまでも暗い水面を揺らしていく。

追記 2011-11-13 02:11

璃子さんのトゥルーエンドの方はどう受け取ろうか考えあぐねていたんだけど、今木さんが書いていた以下の文章が参考になりそう。

僕は、「傍観者でしかあれない」ということ「彼女の物語は自分のものではない」ということ、それを受け入れ「断念」する態度、をこそ主題として、あのトゥルーエンドは読み取かれるべきだと思います。

CLOSED LOOP

余談

本作をコンプしたあと眠りについたら、僕が敬愛する「真剣で私に恋しなさい!」のヒロイン・川神一子とイチャラブする幸せな夢を見ることができた。きっと瑠璃子さんが見せてくれたんだと思っている。

*1:「雫」2004年リニューアル版は変更された原画家・比呂菊乃助の絵に惹かれるものがないし、テキスト改変部分も残念な仕上がりという声を聞いているので、プレイする気にならない。やったとしても一言感想になるだろう。

*2:2011-11-13追記:リニューアル版もプレイした。感想→http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=3249&uid=highcampus

*3:彼女のおまけシナリオはSFのショートショートぽかった。