世代を語る上で、1986年生まれが二重に誤解されている件について

そんなわけで。
何故1986年生まれが二重に誤解されているのか。それは上下の世代の悪いイメージを僕たちも被ってしまっているからだ。

・1986年生まれがの少し上の年の世代が「恐怖の14才」として報道された
 →14才の少年少女が事件を起こしたという報道が多数あった
 →1、2年後に86年生まれが14才になった時も「14才恐い」などの声が報道されてた

・1986年生まれは「ゆとり」の一年上
 →上の世代からはおおざっぱに蔑称的な意味の「ゆとり世代」と同一視される
 (→ついでに言うと、一浪すると受験の要項が変わってしまうなど、節目の学年故の煽りを受けた)

 ということで、1986年生まれは「荒れる子ども」として過剰報道された上の世代と、「ゆとり世代」として過剰報道された下の世代に挟まれていた。
 実際はそれほど荒れていなくて、ゆとり世代でないにも関わらず、両方の悪いイメージを持たれて非常に迷惑だった。というか現在進行形で迷惑している。
【第1回】ゆとり世代がやってくる:NBonline(日経ビジネス オンライン)

 
 上のエントリのはてブコメントにも書いたけど、一般的な意味でのゆとり世代が入社するのは2010年度以降。誤解をまねく書き方は控えてほしい。
 ただでさえ「ゆとり」がいい意味で使われていないこのご時世に、マスコミが自分たちのありがちな若者論に軽々しく「ゆとり世代」とか言う言葉を使わないでほしい。

 別に僕はゆとり世代を馬鹿にしているわけではない。蔑称として「ゆとり」を使うことにも反対で、そういう意味では今の2chやニコ動の煽りは見るに堪えない。そもそも世代別煽りが好きではない。「団塊氏ね」ってそりゃ団塊にはいい人も悪い人もいるだろうに。

 ただ、1986年生まれはゆとり世代ではないので、時折蔑称としてゆとり世代などと言われると、二重の意味で僕は腹が立つという、それだけのことだ。
 14才報道についても同様で、子どもへの恐れを無駄に蔓延させる過剰報道が苛立たしく、自分より上の年の者がしたことから自分たちまで嫌な目で見られることに怒りが湧くという、二重の誤解への反発が僕の心にはある。

 同じ1986年生まれの人になら、頷いてもらえる部分も多いだろうが、どうか。

2008-04-02追記;タイトルを「やたらと損をしている」から「二重に誤解されている」に変更