「風の歌を聴け」(村上春樹)読了

 ひとしきりあって。
 これで二度目の読了だ。前に読んだのは2006年の4月8日で、その時僕は19才だった。読んだ内容はほとんど忘れてしまっていた。
 村上春樹の小説を読んだ後はいつも、自分の中に何かが残ったようで、実は何も残ってないんじゃないかという不安が生まれてくる。
 実際、一つの書を読んで心に残るものなんてたかがしれている。普段僕たちがある作品から得たと感じているものは、自分が今までの人生で積み重ねてきたものと、作品が新しく持ってきたものとをつき合わせた結果だ。なら本当に大切なのは、どんな作品に触れるかではなく、生きていく中で何を魂に積み重ねていくかだろう。
 村上春樹の小説が僕の心に何も残していかないような気がしたのは、共鳴するものが自分に備わっていなかったからだ。少なくとも19才の僕にはその持ち合わせが足りなかった。「海辺のカフカ」を読んでいた17才の僕ならなおさらだ。

 一つの文学作品が生まれた時に与えられる課題は、それが今ここに生きる僕たちのセンチメントに訴えかけるものでなければならない、ということだ。*1極端な理想を掲げれば、何かを積み重ねながら生きてきて、その過程で傷ついて死にそうになっている人間を救えることだ。
 22才の僕は、今日この本を読んでほんの少し救われた気になっている。僅かながら、積み重ねてきたものが自分にもあった。そして、3年の間に悲しいことがたくさんあったんだと、改めて知った。

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

*1:参考:「社会科学入門」(高島善哉)岩波新書