自己責任で社会が豊かになるか?(2)

勘違いしないで欲しい。私はあくまで相対的に「その方が楽」と言っているのであって、絶対的にはやはりそれも辛く苦しい道であることには変わりない。しかし自らの努力が報いられる公算は、持てる者に報いてもらう公算よりずっと高いのだ。
404 Blog Not Found:結局自己責任が一番安上がり

 自己責任は安上がりだけど楽じゃないよ、という話。

 よく言われるように責任と権利はセットだと思うんだけど、誰か「自己責任」を押しつけられた時に一緒にもらえる権利を教えてくれないかな。僕は、「責任は果たしてやるけど、押しつけた奴らのためには力を貸してやらない」権利がもらえると思ってる。

 システム構築者の皆さんは、せめて自己責任で戦う者たちの足を引っ張らないシステムを作ってくれよな。まあそんなシステムが作れるくらい能力があれば、最初から自己責任なんて言い出さないか。逆に逃げ出せないようなシステムになってるもんなー。能力があっても作る気がないということか。

 あとスターをいっぱいもらった僕のはてブコメントについて。

"貨幣を持っていない者達を「貨幣が無ければ不幸になる場所」に無理矢理連れてきて働かせるところが、連中のいやらしいところなんだよなー"
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50970140.html

 このコメントの方法論は「現代社会の理論」という書籍から学んだ。前に詩の方で書評もした本だ。これはけっこう簡単だけどはっとさせられる方法論で、書籍では南北問題を扱う上で「二重の剥奪(二重の疎外)」として使用されている。本文から引用してみよう。

 …(前略)…貧困は、金銭をもたないことにあるのではない。金銭を必要とする生活の形式の中で、金銭をもたないことにある。貨幣からの疎外の以前に、貨幣への疎外がある。この二重の疎外が、貧困の概念である。

 現代の「南」の人びとの大部分が貧困であることは事実だ。けれどもそれは、GNPが低いから貧困であるのではない。GNPを必要とするシステムの内に投げ込まれてしまった上で、GNPが低いから貧困なのである。

 まとめると、こうかな。
「Aが無いということがことが問題ではない。Aを必要とする(無ければ不利益を被るような)尺度を強制された上でAが無いことが問題だ」

 この考え方を一つ知っているだけで、様々な問題に当てはめてコメントができる。有用なので覚えておくと良いかも。