本は10冊同時に読む!大いに同意 - The Home Run Show
上記の記事をふまえて。
ハウツーのくだりは結局受け手の気持ち次第だと思いますね。ハウツーを読んで「これだけやれば安心だ」と思うか、「これから応用して想定外の場面にも対処できるようにしよう」と思うかは各人各様です。
僕は後者の方が向上心があって良い姿勢だし、そういう心持ちで読書したいと考えます。そうすればただのハウツーですら自分にとっての良書となり得るような気がします。
とはいえ、読み手の気持ちに関わらず、最初から作り手の方が「これだけやれば安心」を売りにした本を出してしまうこともあるんでしょう。その方が読み手も気持ちが楽ですし、売れやすいでしょうから。
しかし、やっぱり本の作りとしては、「これだけ」のハウツーではなく「これから」をコンセプトにしたものこそが良書ではないかと思います。そんな良書が増えてくれればいいですね。
抽象化と具体化の話をもう少し深めてみましょう。これも結局その人の能力次第だと思います。読書して1から10を学べる力と、学んだことを具体的場面に活かせる力があれば、人生楽しいでしょうね。
hayato2438さんがレビューされてる本は読んでないので推測ですが、著者が多読をすすめる理由は、おそらく学ぶ教養の母数を単純に増やしておいた方が、具体的場面で活かせる可能性があがるからでしょう。
そういう意味では、より良く生きるために読書は必要な努力だと考えられますし、読書という努力をしようとしない者を悪く言うことにも頷けます。
もちろん、より良く生きるためには、努力の他にも運や巡り合わせの要素が強いです。教養をつけることを目的とした読書だって、今日明日には役立ちません。人生の中では学んだのに活かせないことなんていくらでもあります。
しかし、昔読んで自分には関係ないと思っていた本が、ある日の自分の問題を解決する助けになることって実際あると思います。
そこで初めて、「あの本の言葉はこういう意味だったのか」と体感し、無関係と思っていたもの同士のつながりを確認することは素敵なことです。単純に気持ちいいんですよね、何かがつながったと認識した時って。人間の脳は、そういう関係性の発見に喜びを見いだす傾向がある気がします。
多読についてのあれこれ、数多の本から得た教養が支える「これから」が、詩になるもの。