なんのためのマニュアル

はい、そんなわけで。

 「ルーチン」で語るなら多分人生には実装されていない例外処理が山程あって、レアな例外に遭遇した時にリアルタイムで例外処理ルーチンを書くのが、人生の本当の面白さなんじゃないのかな、って思う。

 まさにそう。その例外処理をするためには、例内処理を普段からきちんとしておかなくてはいけない。なんのためにマニュアルがあるかといえば、マニュアルにない事態に遭遇したときのため、なんだよね。マニュアルは、「踏まえる」ためのマニュアルでなければ嘘だ。

 ここが様々な問題についての僕の足場となる考えと言っていい。礼儀作法についてもそう。教育、学習についてもそう。ありとあらゆる創作活動についてもそう。仕事についてもそう。マニュアルをこなして初めて、マニュアルにないことを問題意識として持てるし、それに対処できる。

 これから何か語るときの足場としてこのエントリを置いておこう。