「秒速5センチメートル」感想、詩と時間と人生について

ひとしきりあって。

この記事では「秒速5センチメートル」を観て連想したこと、感想を中心に書いていきます。
作品の内容自体については、項を改めて書きたいと思います。

僕がTSUTAYAでレンタルしたこの作品を観たのは、ほんの数日前、2月末の深夜でした。その時の僕は、就職活動に疲れ、乱れた生活の中で、何もかも投げ出したい気持ちでした。何気なく借りたこの作品を、履歴書を書きながら観ていました。


秒速5センチメートル」については、「鬱になる」「『耳をすませば』を観たときとと同じように心が痛む」といった評判は聞いていたものの、詳しいことは何も知りませんでした。

実際に観始めて、第一話や第二話で既に涙腺が弱くなっていたのですが、第三話で「One more time, One more chance」が流れ、日常の風景が描かれる場面では涙が止まりませんでした。そして、ふと書いている途中だった履歴書に視線を落とすと、不思議な感動が生まれてきたのです。

履歴書の学歴欄に書かれた、大学入学と大学卒業見込という二行。この二つの行は紙の上で5センチどころか5ミリも離れていないけれど、その間には4年という長い時間が込められている。そうして二つの行に挟まれた膨大な時間と、その間に起こった様々な出来事に思いを馳せた時、生きてきて良かったな、と思いました。


以前、同じようなことをゆずの北川悠仁さんが雑誌のインタビューで言っていました。

ゆずの「リボン」というアルバムに、「チェリートレイン」「ダスティン・ホフマン」という二つの曲が並んでいます。同じ女性との恋愛について書かれた曲ですが、前者は交際中の曲、後者は別れの曲なんですね。

その二つの曲の間には、数年間という時間があるわけです。けれども、CDで続けて聴く時には、その曲間はたったの二秒なんです。その曲間二秒の中に、数年間という時間を感じる時、北川さんは音楽をやっていて良かったと思ったそうです。圧縮された時間に詩的なものを感じるんですね。


前述の僕が涙した場面というのは、主人公達の日常生活や日常風景を描いただけのものです。けれども、その過去の人生を振り返る視点によって、それがどれだけ美しく想起されるか、ということが分かった気がします。詩的なもの、人生、時間、をキーワードに詳しく述べていきましょう。

僕はこのブログを通して、詩的なものを一つずつ確かめる作業をしています。詩的というのは、簡単に言えば自分にとって何かしら特別な意味を持つ、ということです。

しかし、今詩的だと思っているものも、この先同じように思っていられるかは分かりません。今日は全く自分にとって意味を為さないものも、明日には僕の心を救う美しい奇跡になっているかもしれない。

そう考えると、意味のある生、人生って結局何なんだろうと思います。その時最善最高だと思うように生きてきても、その積み重ねが幸せだとは必ずしも言えないんですね。僕は常々、詩的に生きていこう、自分にとって意味のあることだけをして生きていこう、なんて思いながら、そうできないことに苛立っていました。

何が自分にとって詩的なのか、意味のあることなのか、それが分からなかったからです。迷いなく生きることに憧れつつ、迷いながらしか生きられない自分に失望していました。

けれども、「秒速5センチメートル」を観てからは、こう思うようなりました。

どのように生きていっても、振り返る視点一つ変えれば、過去の時間は全て詩になりうる。意味のある生は、今の自分が過去を肯定し、意味を与えるこ
とで作られる。だから、現在を生きる上では、意味なんて考えなくてもいい。迷いながらで構わないから、目の前のことに一生懸命になって、体でぶつかっていく、一日一日を大切にするような、そんな生き方が大切なんだ、と。

できることをやっていく、ということを第一の目標に、就職活動もがんばって続けて行こうと、強く決意しました。

秒速5センチメートル」と出会えたことを、この冷たい季節の、一番の幸福だと感じています。新海監督には上記のような感想とお礼のメールを送らせていただきましたが、ここでももう一度お礼を言っておきたいです。作品を通して僕をこんな新しい気持ちにしてくれて、ありがとうございます。

秒速5センチメートル」、大切に生きた時間全てが、詩になるもの。

貴樹と明里が再会した日 京都にて

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