詩に地名を入れることの意味

 ホッテントリ見てたら増田で関東と関西の話が盛り上がってて、それはそれでコミットしたいんだけど、京都人が発言するとまたややこしくなるから自重する。「日本三都論」という梅棹忠夫さんの本は読んだけど、まだ「京都の精神」を読んでないからなあ。もうちょっと勉強した上でコミットしないとあまり得られるものもないしね。
 それはそれとして、詩に地名を入れることの意味って何かな、と思う。これは数年前にどこかの音楽批評サイトで見たことなんだけど、椎名林檎ってけっこう地名を詩に入れてくるんだよね。で、その地名は主に東京都内とかその周辺の地名なわけだ(他にも確か出身の福岡の地名が出てくる詩もあった気がするけど)。
 メジャーで出して日本全国の人が聴く曲の詩に、一部の者しか知らない地名を入れて、そこに詩情を託すのは作詩者としてどうよ、みたいなことをその批評サイトは書いていて、ふーんと思っていた。
 でも、考えたら別にその地名知らなくたっていいんだよね。むしろ知らない方がその地名から不思議なイメージがわき上がってきて、本当に詩情が出てくることもある。「歌舞伎町の女王」とか、僕はメディアを通したイメージでしか歌舞伎町を捉えられないけど、曲を聴いてるとその街のどういう面を詩に込めたかったのかが何となく伝わってくるしね。
 この知らないことがイメージの増幅に良い効果を与えるってことは、ワラノート やる夫で楽しむ村上春樹を読んでて頷いた話。シナイ半島のくだりね。
 また、詩に出てくる地名を知っている場合、作詩者と感性が合っていれば、その詩情は聴き手に深く浸透する。
 結局、詩に地名を入れて裏目に出る時というのは、聴き手がその地名を知っているものの作詩者と感性が違うために狙った効果が出ない場合か、聴き手がその地名を知らず、さらに地名そのものの語感がよろしくない場合だろう。前者はどうしようもないけど、後者は語感の良い言葉を選ぶことで回避できる。そこさえ気をつければ、詩に地名を入れることはけっこう簡単に詩に奥深さを持たせるテクニックとなりうるんじゃないかな。