小説「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」 レビュー【まおゆう】

1.序

そんなわけで。ママレードサンド(橙乃ままれ)によるWeb小説、「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『断る!』」(以下まおゆう)を読んだのでレビューを書いていくよ。
2ちゃんねるのようなスレッドフロート式掲示板で連載される小説を2ch小説と(ここでは)呼ぶ。2ch小説は、まとめサイトのまとめ方によって、読む時の印象が変わってくる。大きくわけて、小説への反応レスを入れるか入れないかの二つのタイプがある。僕が今回読んだのは、右記のまとめサイトで、反応レスが掲載されていないタイプ。→魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」まとめサイト
この作品を一言で表すなら、西洋(ドラクエ)風封神演義(藤崎竜漫画版)である。詳細については後述する。

1-1.あらすじ

表題に始まる会話から魔王が勇者を説得し、二人して「あの丘の向こう」を目指し、この世界を変えていこうとする。具体的には、人間世界の農業改革に始まり、工業改革、医療保健改革、社会制度改革と改革無双をしていく。そうして生まれた大きなうねりはやがて反発を呼び、人間と魔族の争い、人間の国家群同士の争いが展開されていく。果たして人間は、魔族は、彼らは「あの丘の向こう」へ行けるのだろうか……こんな感じだ。

2.2ch小説としてのまおゆう

まず、驚いたのはそのボリューム。2ch小説としてはかなり長大な部類に入るだろう。合計13スレである。もちろん1から1000まで作者のレスで埋まっているわけではないけれど、それでもtxtファイルにして総計1.6MBになる。もっと分かりやすく言えば、確かラノベ1冊が300KBだったはずなので、ラノベ数冊分ということになる。
続いて、2ch小説としての系譜について。2ch小説の大きな潮流として、やる夫系と新ジャンル「○○」系の二つが存在する。まおゆうはその両者をミックスしたような作品だという見方ができる。*1

2-1.文章形式の功罪

読んでいて改めて思ったのは、2ch小説というかSSの文章フォーマット、登場人物の会話をメインにして物語を進めることの便利さ。実際、物語を書く上でどうしても地の文を使わないといけないなんてことは少ない。大概は台詞だけでほとんどのことが説明できてしまうんだよね。長ったらしい説明台詞乙、というところもあったけれども、全体としては人物同士の会話でわりとテンポよく話が進む。これが2ch小説としての面白さを作る一因となっている。
ただし、一つ付け加えておくなら、僕は会話文中心の文章にはどこか薄ら寒いものを覚えることがある。なんというかな、読んでいるうちに登場人物の会話が誰か(作者、あるいは読者である僕)の概念的な自問自答であるかのような錯覚を覚えるんだよな。
2chの有名なコピペに、妹と会話している「俺」がいつの間にか自問自答をしているというものがある。

俺「なあ、今度一緒に遊園地に行かね?」
妹「え〜、めんどくさいからいいよ」
俺「そんなこと言わずにさ。お前と行くの楽しみにしてたんだし」
俺「そんなに言うなら…じゃあいいよ」
俺「やった!じゃあ来週の日曜日に決定な!お前の好きなものなんでも買ってやるよ」
俺「ホント!?ありがとうお兄ちゃん!」

No.6078 妹との会話 - コピペ運動会

これは、会話形式の文章では発言者が交互に交代しているであろうという常識を逆手に取ったネタである。要は、この「俺」が一人で「対話」を繰り返しているところの寒さと同じものを、しばしばまおゆうに感じるということだ。
「あの丘の向こう」という概念を元に登場人物が会話していく。その対話があまりにスムーズに進みすぎている。各人物がニュータイプ並みの洞察力で齟齬なしに相手の発言を理解するからね。そのため、「これ単に作者が自身の価値観や概念について自問自答or脳内会議してるだけじゃね」という感覚が生じてしまう。

魔王「○○○」
勇者「●●●」
魔王「○○○」
作者「●●●」
作者「○○○」
作者「●●●」
作者「○○○」
作者「●●●」

みたいなね。さらに、2ch小説の系譜であるまおゆうの登場人物には、記号的な名前しか与えられていない(ex.魔王、勇者、青年商人、辣腕会計など)。これも、繰り広げられる会話を抽象的概念的なところへ浮つかせている原因ではないだろうか。
結論として、記号的な名前の登場人物が対話して物語を進めていく2ch小説形式は、概念的なテーマを扱うには相性が「良すぎて逆に悪い」と思う。

3.封神演義藤崎竜漫画版)との類似

さて、僕はこの作品と週刊少年ジャンプで連載されていた「封神演義」に類似点を見出している。感覚的に封神演義好きな人はこの作品も好きだと思うのね。

3-1.空気感

まず、作品内に流れる空気がオタクっぽいというところが共通している。封神演義において時々挟まれるナンセンスギャグは少年漫画の王道からは外れていて、むしろオタクウケが良い。まおゆうに至ってはそもそも表題がドラクエのオマージュである。下敷きにしているものが既にサブカルなんだよね。
あと歴史物を匂わせておいて、しばしば概念の説明に近現代で発明されたカタカナ語を使う点とか。例えば江戸時代劇で「この家のリビングは……」とかいう会話はありえないわけだけど、両作品ではそれをやっちゃう。*2封神演義では太公望が「エディプス・コンプレックス」とか普通に言うし、まおゆうでも魔王や女魔法使いの知識として近現代のカタカナ語が出てくる。
そういう、「現代人の読者にはこう言った方が早いだろうからこう言う」都合の良さがいかにもMAD的≒サブカル的≒オタク的だよねー って思うんだけど、ちょっと雑な理解かしら。

3-2.改革者としての主人公像

次に、主人公が改革者として人間世界に介入するという点。封神演義の主人公太公望は人間界の周に仕え、殷を滅ぼすために様々な新戦略をもって働く。しかし、太公望には改革者故の苦しみがつきまとう。改革を断行する過程で敵味方に避けては通れない犠牲を出すことに彼は苦悩する。
まおゆうにおいても、魔王と勇者は改革という険しい道を選んだ結果、敵味方に犠牲を出したり、他人から悪意を向けられたりして何度も傷つくことになる。
太公望の出自と、なぜ封神計画に彼があてがわれたのかという理由についても、まおゆうと共通するところがある。ネタバレになるので詳述はしないけれども、両作品を読んだ人なら分かるはず。

3-3.原作(的なもの)から発展する形が相似している

続いて、両者の原作(的なもの)に対する位置づけが類似してるんじゃないかという考察に移る。簡単に言えば、おつかい系クエストをこなし、より強い武器を探し、悪者である敵を全滅させるか敵に全滅されるか、という世界観からの転換が共通してるんじゃないかと思う。
封神演義安能務小説版→藤崎竜漫画版においては、宝具(パオペエ=ほとんどの場合攻撃用武器として作られる、マジックアイテムみたいなもの)の扱いが微妙に変わっている。
小説版では、味方サイドと敵サイドが戦うたびにより強い宝具をおつかい系クエストのように探し持ち出し、それが戦果として両陣営に多大な被害をもたらし、最終的には敵サイドの壊滅で戦いは終息する。漫画版では、同様の戦闘規模の拡大による犠牲の増加があるものの、宝具を無効化するスーパー宝具太極図というカウンターを用意して事態の終息を図る。*3さらに、太極図の隠された能力(ネタバレ防止)を用いてラスボスを倒す。*4しかも、倒す前にちゃんと主人公が「このへんでもうやめにしないか」とラスボスに忠告している。俺が正義でお前が悪で、だから問答無用でお前を殺すという感覚からは確実に脱しているだろう。
僕はドラクエをやっていないのでエア批評になるけれども、あれもおつかい系クエストで強い武器やアイテムを得ることを繰り返し、その果てにラスボスを倒すのが基本の流れだと聞く。
まおゆうはそこからの脱却を描いていて、おつかいしてる部分もあるんだけど、そのクエストの成果として人々が新兵器ではなく新概念を得ているところがポイントかなと思う。マスケットに対するライフルのような「より強い武器」を作ることもあるけど、思想的な説得手段、舌戦で戦争にストップをかける場面が多々ある。
このように、両作品は原作(的なもの)における価値観を転換し物語を発展させている。その発展形が相似形であると言いたいのだ。

3-4.テーマ性

ラスボスを倒すにあたって提示されるテーマ性も見逃せない共通点である。簡潔に言えば、ループする世界、誰かの箱庭であるような世界は嫌で、そこから脱却したい、自由になりたい。そのためにラスボスを打破したいということ。打破した先がどうなるかは分からないし、旧体制の方がある意味正しいのかも知れないけど、自由に価値を見出してラスボスと戦う。永遠性よりも一回性を、既知の箱庭よりも未知のあの丘の向こうを求める。そのように物語が最終的に提示したテーマ性、着地点が似ていることを指摘しておきたい。

3-5.まとめ

両作品の類似点は上記の通りである。やや牽強付会なところもあるとは思う。似ているからどうしたという話になるけど、2ch小説が、週刊少年ジャンプで数年間連載された作品と同様のテーマを描けるということだけでも新たな発見であるし、それをもってまおゆうを賞賛しても良いと思う。

4.好きなキャラ、カップリング

基本的にキャラクターメイクはしっかりしていた。女魔法使いが一番好きなキャラだな。ああいう秘めた想いを持ち、健気で、見せ場では最高に熱いキャラは素敵だ。カップリングでは灰青王×百合騎士団長が良かった。ああいうシチュエーションは好物なんだよね。

5.余談

まおゆう終盤で、ドラクエのラスボスであると思われる竜王、死導、憎魔という名前が出てくるけれども、これは出す必要が無かったのではないか。せっかくドラクエ的な世界観から脱却してオリジナルなものを描けているのに、変なところでドラクエにリンクする必要は無いでしょう。完全に蛇足。ここは批判しておきたい。
あと気になったのは西暦みたいな暦がなかったこと。これはそういう世界観なのかな? 別に批判というわけではなく、"3年後"、"さらに2年後"とか書かれると最初の時点から何年経ったのか分かりづらいというだけの話。

6.結

点数を付けるなら80〜85/100点。2ch小説としては枠外と言っていいレベルの完成度である。ドラクエ的世界観に対するカウンターが見たい人、封神演義が好きな人、「未知」や「自由」という言葉に胸が震える人にお薦めの作品だ。

封神演義 完全版 18 (ジャンプコミックス)

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*1:参照:BQラジオ第2回放送終了しました! - ねとらじ:『もりやんと松波総一郎のWanna’be Cute!』オフィシャルB・L・☆・G( ≧▽≦)

*2:ただし、まおゆうは西洋風だから別にカタカナ語が出てきても違和感は薄い

*3:漫画版では太極図の能力が変更されている

*4:結局「より強い宝具」で敵を倒してることには違いないかもしれない